「人というものは、その人の立場に立って動いてみるまでは、ほんとうのことはわかるものではない」(ハーパー・リー『アラバマ物語』)
『アラバマ物語』で共感についてアティカスが幼い娘スカウトに言った助言は、私が最も愛する文章の一つだ。スカウトは、父親の助言を実践するために不断の努力をし、時には失敗するが、本の末尾に至ってはじめて、ブー・ラドリーの立場を理解するようになる。精神健康医学科の医師である私にとって、この文章は「完全な共感は不可能だからあきらめなさい」というメッセージではなく、「他人の立場を私が完璧に理解することは不可能だから、その人の人生と価値観をむやみに判断せず、共感するために不断の努力をせよ」という「自警文」のようだ。
他人を理解することほど難しいことがあるだろうか。三十を超えて米国に渡り、精神科の医師として働く私は、人種、言語、文化が私とは全く異なる生活を送ってきた患者に毎日のように向き合う。私と共通点が一つもないような彼らに私は最善を尽くし共感しようと努め、彼らは初めて会う東洋人男性の精神科医師である私を信じて心を開く。そのように一見全く合わなさそうな私たちは、まるでオーケストラの楽器のように互いに共鳴してつながる。
私たちは、よく誰かと似た経験をしてこそその人を理解することができると勘違いする。しかし、むしろ相手と似た経験をした場合、本人の感情と記憶が強烈なので、他人の感情に対する正確な共感が難しいこともある。共感において経験より重要なことは、他人を理解し助けようとする意志、そして自己中心的なスイッチをしばらく消すことだ。患者との共感、つながりの経験が、私に教えた最も大きな教訓だ。