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スターリングラードとキエフ

Posted March. 22, 2022 08:25,   

Updated March. 22, 2022 08:25

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スターリングラードは、人口60万人のソ連第3の工業都市だった。戦略的に重要ではあるものの、この都市一つで戦争の勝敗が変わるほどではなかった。1942年8月、ドイツの第6軍25個師団がスターリングラードに向かって結集した。そのうち8個師団が都市攻撃に投入される。

市街戦が難航することが分かっていたドイツ軍は、大規模な爆撃と砲撃で都市を焦土化し、市街に進入した。わずか1万人のソ連軍は、市民軍と共に1ヵ月間持ちこたえたが、陥落寸前にまで追い込まれた。この時、東側からの支援部隊が到着した。ソ連軍は兵力を投入し、スターリングラードの市街戦は言葉通り激戦となった。

双方は10人以下の小グループに分かれ、廃虚で狙撃兵、小銃、手榴弾、シャベルまで使い、まるで鬼ごっこをするかのように戦った。戦線もなく、防衛拠点もなかった。これが市街戦の実体であり悪夢だった。

ドイツ軍は、必死に抵抗するソ連軍にうんざりしたが、しばらくして状況が変わった。東部シベリアから大規模な増援軍が到着し、ドイツ第6軍は逆にソ連軍に包囲された。

ドイツ軍は脱出する機会があったが、ヒットラーは撤収命令を拒否した。以前から戦況が悪くなると、参謀総長をはじめ将軍を解任した。絶望的状況でもドイツ軍は武器で2ヵ月間持ちこたえた。1943年、飢餓状態に追い込まれたドイツ軍9万人が最終的に降伏する。この時、都市に残っていた市民はわずか1千人ほどだった。

都市の市街戦は最悪の戦争だ。それ自体が戦争犯罪に相違ない。ロシアが今、キエフでスターリングラードを再現しようとしている。すでに他の都市でも無差別砲撃を強行しており、キエフではもっとひどいことをする勢いだ。虚勢かもしれないが、すでに3回以上、ロシアのプーチン大統領の行動は欧米の予想を越えた。ロシアが掲げる侵攻理由は、ドンバス地域でのウクライナの虐殺と蛮行だ。これはまだ検証されていない。事実だとしても、戦争の大義名分にはなり得ない。