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再び木蓮

Posted February. 19, 2022 08:40,   

Updated February. 19, 2022 08:40

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冬といえば思い浮かぶ詩人には、金東煥(キム・ドンファン)や白石(ぺク・ソク)がいる。「国境の夜」を書いた金東煥は咸鏡北道(ハムギョンブクド)出身で、「私とナターシャと白いロバ」の白石は平安北道(ピョンアンブクド)出身だ。生まれながらに北方だった彼らは、実際に北方の情緒を使いこなした。そして、「他に誰がいるのか」と聞けば、「金光均(キム・グァンギュン)と答えることができる。北方情緒までではなくても、とりわけ雪景色をよく扱った詩人だ。「どこの遠いところの懐かしい知らせなので、この夜、音もなく飛び散るのか」で有名な「雪夜」が彼のものだ。彼の詩には、しばしば白い雪と、そこに積もるなつかしさのようなものがある。

実際、金光均詩人は、特に雪と冬が好きだったというよりは、ただ白くてきれいで美しいものが好きだったと見られる。白くてきれいで美しいものには、雪が一番ではないか。だから冬が先ではなく、詩人が愛した白いイメージが先だ。金光均詩人といえば、よく「瓦斯燈」のように異国的な詩を思い浮かべるが、そこで終わると寂しい。「雪夜」までは読まなければならない。それでも残念だと思ったら、彼の木蓮の詩を推薦したい。白くてきれいで美しいものには、木蓮も含まれる。この詩を見れば、多くのことが分かる。ある四月にお母さんが亡くなったんだね。亡くなってしばらく経つね。お母さんは花になって、毎年お帰りになるのね。年老いた息子はそれを見て、嬉しくて悲しかっただろう。こんな話を春に読むととても心が痛むと思って、冬にあらかじめ読んでおく。

文学評論家