Go to contents

軍隊らしい軍隊

Posted August. 17, 2021 08:23,   

Updated August. 17, 2021 08:23

한국어

東学、義兵活動に参加した青年・金九(キム・グ)は乙巳条約後、武装闘争をやめて、愛国啓蒙運動に身を投じる。しかし、新民会活動および105人事件で逮捕され、収監された。1915年に出獄した金九は、愛国啓蒙運動の限界を悟った。1919年、3・1独立運動が全国的に広がると、金九は参加を拒否する。「万歳では国は取り戻せない」

すぐ上海に亡命した金九は、臨時政府に身を投じた。この時から抗日武装闘争の主役になる。金九の夢は立派な軍隊、光復軍を結成することだった。彼には痛い思い出がある。彼が最初に指揮した軍隊は東学軍だった。18歳で700人ほどの兵力を抱えていた金九は、海州(ヘジュ)城攻撃の先頭に立った。城には朝鮮軍200人と日本軍7人がいた。この兵力では、4カ所の城門をすべて防御することも難しい。金九は作戦を練った。主力が南門に向かって進撃する。これは揺動だ。守備隊が南門に集中している間に、金九が本当の主力である自分の部隊を率いて西門へ快速進軍、一気に城を攻め落とすという作戦だ。

戦闘が始まると、日本軍が南門から空砲3、4発を撃った。すると主力が直ちに逃走した。金九部隊は西門に到着して攻撃を加えていたが、退却命令が下された。寄せ集めでは戦争はできないと悟り、兵士を調教し始めた。白凡日誌にこの時の状況が詳しく説明されているが、砲手と銃を持った人が最も多く、最精鋭だったという部隊の水準も、よく見ると本当に心許ない。旧韓国軍将校出身と知略のある人物を謀士として招き、東学軍では好評を得たが、戦闘を行うレベルまで上がったかは疑問だ。この部隊は近隣の東学軍とのもめごとで彼らの攻撃を受けて壊滅した

いくら愛国心が満ち武器が良くても、軍隊は軍隊らしくなってこそ、国を守ることができる。そのためには、軍は内的に正直で健全でなければならず、国民も軍隊を理解し、支援しなければならない。最近私たちは、2つとも崩壊しているようで心配だ。

歴史学者