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北方民族研究の姜仁旭教授、「多様な北方民族の歴史研究は中国の『歴史崛起』を防ぐ代案となる」

北方民族研究の姜仁旭教授、「多様な北方民族の歴史研究は中国の『歴史崛起』を防ぐ代案となる」

Posted March. 10, 2021 08:07,   

Updated March. 10, 2021 08:07

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中国黒竜江省の東北部にある面積12万平方キロメートルの三江平原では、豆満江、沿海州一帯で発掘された住居跡、土器のような遺跡が発見されている。豆満江流域で勃興した沃沮系統の文化が、三江平原まで北上した跡だ。農業をして生活した沃沮人は、北側で見つけた肥えた土地で300年間余り暮らしながら、巨大な城跡を築いた。ここでは、250あまりの城跡が見つかっており、このうち最大の城跡は風納土城の規模を上回る。

慶熙(キョンヒ)大学史学科の姜仁旭(カン・インウク)教授が先月出版した著書「玉渚と挹婁」には、玉渚と挹婁について新たに発掘した考古学的結実が盛り込まれている。玉渚は紀元前4世紀〜西暦246年、挹婁は紀元前4世紀〜西暦559年頃に存在した北方民族だ。姜教授は10年間、ロシアや中国、韓国を行き来しながら、知られた事実が多くない北方民族の玉渚と挹婁について研究した。姜氏は最近、東亜(トンア)日報とのインタビューで、「さまざまな北方民族の歴史を研究することは、中国の歴史膨張主義を防ぐ代案になる」と語った。

姜氏の研究で新たに知られた事実は大きく二つだ。これまで、三江平原で発見された城跡を沃沮人が建てたものだと考える研究者はほとんどいなかった。しかし、姜氏が研究したところによると、三江平原の様々な遺物は沃沮人の文化とまったく同じだった。雑穀農業に有利な地域に沿って移動した沃沮人の習性を考慮すれば、移動経路も説明可能だった。姜氏は、「この本の出版と同じ時期に三江平原を研究する中国学者たちも、この城跡の主人を沃沮人と認めた」と説明した。

中国黒竜江の下流から松花江流域にかけての挹婁地域で、紀元前4世紀に製作されたと推定される鋼鉄化した鉄斧が発見されたという点も、姜氏が挙げる学問的成果だ。これは中国だけでなく、世界で最も早い時期に当たる。

韓国内研究者がほとんどいない分野である北方民族を研究する姜氏は、「北方民族の歴史は韓国の歴史なのか」という質問を多く受けたという。氏は、「北方民族の歴史研究において、君のものと私のものを分けることは、韓国史歪曲の近道だ」とし、「歴史の多角的な流れをありのまま直視する態度が必要だ」と語った。


チョン・チェウン記者 chan2@donga.com