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潔白の歌

Posted February. 05, 2021 08:15,   

Updated February. 05, 2021 08:15

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水と垢は互いを受け入れないので、共存できない。一方はきれいだが、もう一方は汚らしいためだ。一見澄んだ水にも垢がありそうだが、よく見ればこの2つは生来、相性が合わない。普段澄んだ水のように高潔さを目指してきた私が、どうして体に垢がつくことを放置するだろうか。それでも、私が少しの垢もない清浄無垢な存在だとは言い張らない。なので、背中をこするのに必要以上に力を入れることはない。私を助けるという好意でなら、やさしくすればよく、ありったけの力を込めることはない。

政治的対立を経て、長年、島流しと左遷の道を歩んだドンパは、自身に加えられる政敵の圧迫が過度と思ったのか、自身の潔白を滑稽に比喩する。作品の序文で、詩人がある寺院にある公衆浴場で入浴している間に感じたところをいたずらに書いたと言ったように、日常事から奥深い人生の道理を引き出す彼の才能は格別だ。「偉業は本来垢がない」という表現も、仏教の偈頌(げじゅ)に由来する言葉だが、風呂が寺院に付いている空間であることを、機転を利かせて活用した例になる。

「如夢令」は、宋代の代表的な韻文ジャンルである詞の曲調の名前で、字句の数、韻律または雰囲気などを表すだけで、詞題や内容とは直接的な関係がない。ゆえに「如夢令」という曲調を使った作品はその他にも無数に多い。