Go to contents

掃除の仕事する人々

Posted January. 20, 2021 08:37,   

Updated January. 20, 2021 08:37

한국어

 

芸術って一体何の意味があるのかと尋ねてアーティストを惨めにさせる人々がいる。ハンガリーの作家サボー・マグダの「ザ・ドア」は、そういう人物を登場させて芸術の意味を省察する奥深い小説だ。

有名作家の女性が話し手にとして登場するが、彼女は字を書いて講演をはじめとする社会活動をするため、家事をする余裕がない。そのため近所で一人暮らしをしている女性を雇う。おかげで作家は字、も書いて華麗な賞も受賞して名誉も手に入れる。ところが、その家政婦はやりづらいくらいに主観がはっきりした人だ。彼女は、人は自分みたいにほうきがけをする人とそうでない人すなわち権力者とに分ける。政治家はもちろんのこと牧師、弁護士、医師、エンジニア、教授も権力者なのだ。映画監督も権力者だし作家も権力者だ。原論的な話だ。彼女は、低い地位にいる人々が無視される現実に怒っているのだろうか。そうではない。ハンガリーの歴史と生活の中でたどり着いた結論であり、見届けてきた結果だった。

とは言え、あまりにも冷笑的で反社会的な考え方ではないか。しかし、それが子供の頃から掃除の仕事に追いやられた人の考えだとすれば、話が変わってくる。彼女は話し手の家だけを掃除するのではなく、11の建物が立ち並ぶ街の掃除まで引き受けている。雪が降れば、人々が教会に行けるよう徹夜で街の雪かきをし、人々が教会に行っている間は、人々の家の中を片付けて洗濯をする。その必要がなくなったにもかかわらず、数十年をそれをやり続けた。彼女の言葉に権威がこもる所以だ。ところが、言葉とは違って彼女の心は温かい。負傷したドイツ軍とソ連軍をイデオロギーとは関係なく隠してあげたし、戦争中にユダヤ人の子供を生かしたことや、貧しい隣人と野良猫の世話をしたのも温かい心があるからだ。

芸術の意味を考えさせるのは哲学者やイデオローグ、有識者ではなく、彼女のように掃除の仕事をする人々である。この小説が示すように、芸術はいくら華やかであっても、彼らの生き様の前で限りなく小さくなる。芸術は時折、そういう惨めさの記録なのだ。