「貴重な成果とともに新しい挑戦が始まった、自分の人生に二度とない1年でした」
今年6月、ポーランドで開催された国際サッカー連盟(FIFA)のU-20ワールドカップ(W杯)で韓国の男子サッカー史上初めてFIFA大会で準優勝を果たした諸葛ヨン(諸葛亮とチョン・ジョンヨンの合成語)は暮れ行く2019年をこう定義した。
最年少の李康仁(イ・ガンイン=18、バレンシアCF)を除いては目立ったスタープレイヤーがなく、「ベスト16も容易でない」と言われたチームを準優勝に導いたチョン監督が、大韓民国体育賞、アジアサッカー連盟(AFC)男子監督賞などを総なめした。チョン監督は来年からは初めてプロクラブを采配する。2006年から大韓サッカー協会専従指導者として活躍し、ユース育成だけに携わり、先月26日、Kリーグ2(2部)ソウル・イ―ランド指揮官に就任した。
26日、京畿道加平郡(キョンギド・カピョングン)のリゾートで取材に応じたチョン監督は、「いつも疑いの目で見られながら戦って来た自分にとって、新しい挑戦をすることは怖くない」と話した。キョンイル大学を出て実業チーム「イ―ランド・プーマ」などで活躍した現役時代に年代別の代表選手の経験がない。サッカー界の「庶民」として生きて来たチョン監督は、U-20W杯を通じて周囲の評価を変えて見せた。
W杯でチョン監督は指示と服従の文化の中で現役時代を過ごした40、50代の指導者と権威主義に反発し、公正といった価値を重視する「Z世代(1999~2001年生まれ)」のファンタ―スティックな融和を実現してみせた。「やるな」を繰り返すよは、選手たちが自律を求めるタイミングに、段階的に携帯電話の使用を許可するなどの変化を与えた。そうしたら、選手たちの方から先に私を信頼しながら、太い絆で結ばれた」。チョン監督は、自身のリーダーシップは厳しい父や怖い兄でもない、伯父さんに近いと言った。「おじさんの言うことは、たまには聞かなくても良い。小遣いをもらったら、また言うことを聞いたりして…」。
U-20W杯メンバーのうちオ・セフン(尚州)やオク・ウォンサン(光州)は2020東京五輪最終予選(来年1月)に臨むU-22代表メンバーにも選ばれた。所属クラブと代表招集を巡る話し合いが行われている李康仁は合流が確定していない。チョン監督は、教え子たちに助言した。「長身(193センチ)のオ・セフンは制空権を、俊足のウォンサンはスピードを生かしてチームの攻撃を引っ張ってもらいたい。W杯の経験が大きな資産になるはずだ」。李康仁はW杯以降もチョン監督に、たまに連絡しているという。チョン監督は、「自分が暇なときに、『いつか一度会いましょう』と連絡してくるんです」と言って笑った。チョン氏は、また「康仁が自分の弱点(守備能力)を補おうと努力して、退場処分を受けた。そうしたところは肯定的なことだと思う」と話した。
チョン監督は「おじさんリーダーシップ」をもとに3年以内にソウル・イ―ランドをKリーグ1(1部)に昇格させ、FCソウルと「ソウルダービー」を実現させたいと意気込んでいる。2015年から2部リーグに参加したイ―ランドは、一度も1部リーグの経験がない。直近の2シーズンは連続の最下位だった。チョン監督は、「先日の講演会で1部昇格への抱負を語ったら、同席していた崔龍洙(チェ・ヨンス)FCソウル監督が私を見て笑った。それで私もFCソウルが2部に降格されてダービーが実現してはだめで、うちが(1部に)上がると話した」と言って笑った。
U-20杯準優勝でチョン監督が守れなかった公約が一つある。「優勝すれば、思いっきりダンスを踊って見せる」ということだった。チョン監督に「イ―ランドを1部に上げれば踊るか」と質問した。「ダンスパーティーになるでしょう。いや、それよりもっと派手なこともできそうだけど」。
鄭允喆 trigger@donga.com