「これから暫らくハワイで休養を取り、アイクが来る前までには帰ってくる」。1960年の4・19革命によって下野した李承晩(イ・スンマン)元大統領が同年5月29日、金浦空港を発つ時、放った言葉だ。アイクとはドワイト・アイゼンハワー元米大統領の愛称である。アイゼンハワー氏は同年6月19日、現職米大統領としては初めて訪韓した。李大統領はハワイに向かいながら1ヵ月足らずで帰ってくる予定だったが、結局「帰らぬ客」となった。
◆李元大統領の早期帰国を強く促したのは大統領の権限代行である許政(ホ・ジョン)氏だった。韓国の憲政史上、大統領権限代行がいたのは9回。許氏は2度も大統領の権限代行を行うという後にも先にもない記録を残した。李元大統領が退いた後、副大統領と総理が空位だったため外務部長官であった彼に代行の役が回ってきた。二度目は、代行を務めた民議院のカク・サンフン議長が総選挙出馬表明6日目で辞めたので首相の許氏が再び代行となったのである。李元大統領の秘密亡命を斡旋した許代行は、独裁者を逃がしたという非難に苛まれた。
◆参議院の白南淳(ぺク・ナムジュン)議長も超短期の大統領権限代行だった。第2共和国の内閣制憲法移行に伴い、大統領を選出する前の参議院議長として5日間代行を務めた。一方、5.16軍事政変を起こした国家再建最高会議の朴正熙(パク・チョンヒ)議長は大統領権限代行としても長期執権となった。東亜日報の記事を基準に1962年3月24日から翌年の12月16日までの532日間の代行。期間中、彼は第1次経済開発5か年計画を行い、通貨改革も実施した。
◆黄教安(ファン・ギョアン)首相は、大統領権限代行を何日間続けるだろうか。崔圭夏(チェ・ギュハ)代行の41日を超えるのか、高建(コ・ゴン)代行の63日より長く続くのか。許政代行の1次、2次代行の合計99日を超えるかどうかは憲法裁判所次第である。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領の弾劾審判を憲法裁判所が容認するなら次の大統領選挙までの「長期」権限代行になることもある。いずれ立派な権限代行のためには厳正なる政治的中立を守りつつ、国会の力添えを引き出す政治手腕を見せることだ。
異鎮(イ・ジン)論説委員 leej@donga.com






