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[オピニオン]韓国独立運動家と中国人女性との恋

[オピニオン]韓国独立運動家と中国人女性との恋

Posted August. 15, 2016 07:16,   

Updated August. 15, 2016 07:27

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「あなたは、あまりにも幸せすぎますね。結婚後あなたは変わりました」。米作家・二ム・ウェールズが書いた独立運動家「金山(キム・サン)」の一代記である「アリラン」の中で、金山が7歳年上の革命同志に対し、文句でも言うかのように投げかけた言葉だ。英語を翻訳したせいか、言葉遣いはぎこちないが、日本帝国に奪われた国を取り戻すために、共に命がけで戦ってきた同志が、恋という不倫に落ちることを残念がる気持ちが盛り込まれている。同志はこのように答える。「そう、君の言葉が正しい。恋なんて本当に人をがらりと変わらせるものだね」

◆恋のため、抗日運動の最前線からしばらく離れていたこの和尚は、後で臨時政府国務委員を務めた雲巖・金星淑(キム・ソンスク)だ。法名は太虛。18歳の時に出家した彼は、25歳だった1923年、仏教留学生として中国北京に渡った直後、義烈団に参加して本格的な抗日闘争に乗り出す。金山の師匠であり、同志として革命家の友情を築いたのもこのごろ、広東にある中山大学で社会科学を勉強し、理論的基盤を備えることになる。

◆雲巖は、中山大学初の女子大生である杜君慧に出会って恋に落ちる。祖国に妻や1男1女の子がいたが、事実上の初恋だった。金山が最も親しい独立運動の同志を奪われたと焼きもちを焼くほどだった。杜君慧も家から反対され、逃げるように日本留学に発ったが、3か月後、雲巖に戻るほど愛情が深かった。広東コミューンの弾圧の時、雲巖は恋人の家に隠れて過ごし、結局1929年に結婚した。雲巖はこの時期、生涯一度だけの安穏な生活を味わいながら、3男を設けた。

◆杜君慧は、夫の後をついで抗日宣伝活動に積極的に乗り出し、臨時政府外務部要員としても活躍した。自分を「朝鮮の娘」と称しながら、独立運動家への後援を訴え、朝鮮人女性たちを同胞と思った。光復(日本の植民地支配からの独立)71周年を迎え、杜君慧に建国勲章愛族章が与えられた。1982年に建国勲章独立章を受章した雲巖と一緒に、夫婦が建国勲章が授与された初事例となる。高高度防衛ミサイル(THAAD=サード)配備を巡り韓中関係がぎくしゃくしている中、雲巖と杜君慧夫婦のように、両国が力を合わせて日本と戦った時代を振り返りたい。

異鎮(イ・ジン)論説委員 leej@donga.com