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「国立中央博物館の仏像の手が消えた」

Posted May. 15, 2024 08:34,   

Updated May. 15, 2024 08:34

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京畿道抱川市(キョンギド・ポチョンシ)の白雲山(ペクウンサン)にある興龍寺跡から出土した後、国立中央博物館が保管している仏像2基の手部分が消えたことが分かった。博物館は、「(移管後に)手が消えたのは事実」とし、経緯の把握に乗り出した。

14日、大韓仏教曹渓宗興龍寺の住職であるドアム僧侶は、「1924年に興龍寺跡から出土し、国立中央博物館が所蔵している鉄仏2基の手が消えた」とし、博物館側に説明を求めた。仏像は統一新羅末期の僧侶である道詵(ドソン)国師が興龍寺の前身である内院寺を創建する際に制作したと推定される釈迦牟尼仏と地蔵菩薩像だ。出土後、1925年に朝鮮総督府博物館に移管され、45年12月に国立中央博物館ができた後もずっと国の所有として管理されてきた。

出土当時の写真を見ると、仏像の手が存在している。また、当時の朝鮮総督府が作成した「興隆寺発見鉄仏と輸送」文書にも、「釈迦牟尼仏の手は右手の指4本が破損している」、「地蔵菩薩像は右手の親指が破損している」と書かれている。しかし、興龍寺側が先月撮影した鉄仏の写真は、すべて手首の下の部分が消えていた。興龍寺は、「文化財の原状回復運動」を推進している。ドアム僧侶は、「管理不注意で紛失したのか、博物館側に説明を求める公文を今月初めに送ったが、回答がない」とし、「仏像は興龍寺の歴史を物語る重要文化財なのに、非常に残念だ」と話した。

国立中央博物館は、手の部分が完全に残っている1930年の景福宮勤政殿の展示写真以降、関連記録がなく、経緯の把握に困難を来している。博物館関係者は、「日本植民地支配期や韓国戦争中に鉄仏の手がなくなったと推定される。正確な経緯の把握は難しい状況だ」と話した。


サ・ジウォン記者 4g1@donga.com