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最年長捕手・陳甲龍、薬物騒ぎ後に得た7個のチャンピオン指輪

最年長捕手・陳甲龍、薬物騒ぎ後に得た7個のチャンピオン指輪

Posted February. 27, 2015 07:20,   

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三星(サムsン)捕手の陳甲龍(チン・ガブヨン)は、相変わらず後輩投手の球を受けていました。26日、三星がスプリングキャンプを張っている日本沖縄の赤間球場で、彼は多くは20歳年下の後輩たちに混じって玉の汗を流していました。

1974年5月8日生まれの陳甲龍は、もうすぐ満41歳になります。現在、韓国プロ野球では最年長選手です。韓国野球で3K業種とされる捕手が最年長選手になったのは初めてのことです。

彼がこれだけ長く選手生活を続けるは誰も思っていなかった。2002年の釜山(プサン)アジア大会前に起きた薬物騒ぎの中心人物でした。当時は、まだドーピングに関する一般の認識が薄かった上、本人もドーピングについて無知だった。風邪薬から薬物成分が検出されたため、代表メンバーから外されました。ファンの非難を浴びて気苦労も多かったそうです。

しかし、その後の対応を見ると、薬物騒ぎはハプニングではなかったと思われます。2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では正捕手として活躍し、2008年の北京五輪では金メダルの立役者でした。2013年の第3回WBCでは主将を任されました。

2002年の騒ぎが転機となったのです。もっと徹底的に体の管理をするようになったのです。彼の野球人生も、その年を期に変わりました。それまでの三星は韓国シリーズ優勝に縁がありませんでした。しかし2002年の初優勝以来、ほぼ毎年韓国シリーズに進出し、昨年まで実に7度も優勝を果たしました。そして三星の守備を仕切る激務は、いつも彼にた仕事でした。大邱(テグ)の自宅にはチャンピオン指輪7個が大事に保管されています。

彼は「運が良かった」と言います。しかし、その運を作ったのは彼自身です。野球選手としての信条は「練習は一生懸命にやるが、休むときは確実に休む。そして余った体力は試合で100%しぼり出す」というものです。無理に練習量を増やすよりは、自身に必要なメニューを集中的にこなし、休むときは思いっきりストレスを発散します。長寿の秘訣は、やはり良い習慣と楽しい心構えだと言えそうです。

良いパートナーに出会えたのも幸運でした。彼は呉昇桓(オ・スンファン=阪神)、アン・ジマン、クォン・オジュン(以上三星)、ペ・ヨンス、クォン・ヒョク(以上ハンファ)と当代の素晴らしい投手とバッテリーを組みました。彼は「2004年のヨンスは私が会った中では最高の投手だった。1回から9回まで、一貫したボールを投げていた」と振り返った。

彼がいつまで選手生活を続けるか分かりません。彼は「体が許す限り続けたい」と言っていました。柳仲逸(リュ・ジュンイル)監督は「甲龍がいる、いないで大きな違いが出る」と話します。打者との駆け引きや、大きな試合の経験、打者としての一発など、依然として彼ほどの捕手は見当たらないからです。昨年は負傷で殆ど出場できなかったのですが、今年は開幕戦に合わせてペースを調整しています。

野球選手としては還暦を過ぎていながら、誰かに認められていることだけでも、彼は立派な野球人生を送ったと言えそうです。「人生はイ・ホジュン(NC)のように」という言葉があります。自由契約選手(FA)として大型契約を取り付けたことを羨む言葉です。だとすれば、「野球は陳甲龍のように」するにが後輩たちの憧れではないでしょうか。