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永久欠番、番号で残った伝説たち

Posted April. 03, 2014 05:27,   

「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という。野球スターはもうひとつ、背番号も残す。それも永遠に。

野球選手の背番号は「もうひとつの名前」だ。その番号を他の選手が使えないように球団が決めるのは選手として最高の栄誉だ。SKフューチャーズチームの朴勍完(パク・ギョンワン)監督(42)がそのリストに名前を刻む。SKは5日、朴監督の「永久欠番式」を開く。球団としては初めてであり、プロ野球史上12番目だ。

歴代最高の捕手とあげられる朴監督は、1991年、サンバンウルのユニホームを着てデビューした。03年からSKでプレーした。23シーズンの間、2043試合で打率2割4分9厘、1480安打、314ホームラン、995打点を記録した。正規リーグ最優秀選手1回、ホームラン王2回、ゴールデングローブ4回受賞に捕手最初の300ホームランの主人公だ。朴監督は最近、選手時代の背番号の26番ではなく71番をつけている。選手が前半の番号を選べるように、70番台以降の背番号を選ぶコーチングスタッフの慣例に従ったものだ。SKの関係者は、「昨年10月、フューチャーズ監督に選ばれた時も自分が永久欠番の対象になることを知らなかったため、自然と72番を選択した」と伝えた。もちろん、例外もある。歴代5番目に永久欠番となった李万洙(イ・マンス)SK監督は現在も選手時代の22番をつけている。

野球の背番号は、1929年、ニューヨーク・ヤンキースの選手が初めてつけたと言われている。1937年からは全ての選手の義務になった。大リーグの永久欠番の伝統は、1939年引退したヤンキースのルー・ゲーリッグ(4番)から始まった。現在、ヤンキースで使える一桁の背番号は2番と6番だけだ。それも今シーズンを最後に引退を宣言した内野手のデレク・ジーター(2番)の永久欠番も確実で、来年からは6番だけが残る。特定球団ではなく、全てのチームの永久欠番もある。1947年、黒人として初めて大リーガーになったジャッキー・ロビンソンの背番号の42番だ。大リーグ事務局は同氏のデビュー50周年の1997年、この番号を全球団永久欠番に決めた。デビュー日の4月15日には全ての選手が同じく42番が刻まれたユニホームを着てグラウンドに立つ。日本は天才投手として名を博したものの、1944年、戦争に徴用されて戦死した沢村栄治(14番)ら15人が永久欠番になった。

1982年スタートした韓国プロ野球の初の永久欠番は1986年に出た。OB(現斗山)の捕手だった金栄伸(キム・ヨンシン=54番)だ。若くして事故で逝去した彼を追慕するための球団の意思だった。10年後、「国宝投手」宣銅烈(ソン・ドンヨル)が永久欠番2号になり、金龍洙(キム・ヨンス)、朴哲淳(パク・チョルスン)、李万洙ら最高のスターがその後を継いだ。(表参照)

12年の李鍾範(イ・ジョンボム)以降、2年ぶりに永久欠番が誕生した中で、ファンの間では永久欠番の対象としてまた別の選手の名前が取り上げられている。しかし、永久欠番は慎重に決められるべきだ。成績が良かったという理由だけで永久欠番になったら、それほど遠くない将来には選手たちが「背番号飢饉」に悩まされることになる。SKは朴監督の永久欠番の決定は、選手としての個人成績だけでなく、チームへの貢献度やリーダーシップ、そして現在フューチャーズの司令塔として球団の未来を背負っていることなどを総合的に考慮したと発表した。

さらにヤンキースのジーターのように韓国にも永久欠番が予告されている選手がいる。三星(サムスン)の李承鎏(イ・スンヨプ=36番)だ。どの面を見ても、彼に対しては異論がなさそうだ。