丘のふもとから手に花を持った人々の列が絶えない。黄色の菊の花を持った白人女性、紫のあじさいを手にした黒人の男性、野花を取ってきた少女まで…。彼らはろうそくに火を灯して祈った。そして小さな字で手紙を書いた。5日に亡くなった「タタ(お父さん)マディバ(尊敬される大人の意味、マンデラ氏の愛称)」に書いた手紙だった。
「マディバは私の人生を変えました。あなたのおかげで自由を得ました」、「天国の天使も踊っているでしょう。高貴な方が来たのだから」、「タタ、あなたは神が人類に与えた特別の贈り物でした」。7日午後、南アフリカ共和国のヨハネスブルク郊外にあるネルソン・マンデラ元大統領の自宅前には数千輪の花が捧げられていた。マンデラ氏の遺体は6日、首都プレトリアにある国軍病院に移されたが、国軍病院では遺体の公開前の遺体処理が行なわれているため追悼式ができず、ヨハネスブルクの自宅に多くの人々が押しかけたのだ。
特に、追悼式の各会場で数百人の追悼客が「ネルソン〜マンデラ〜」と叫び、お尻をふって激しく踊っているのが印象的だった。彼らに悲しい日になぜ踊るのかと尋ねた。ヘイジャル・マジムコ氏(45・女)は、「アフリカの人々は幸せな時も踊って歌い、悲しみに耐えられない時も歌を歌う。アパルトヘイト(人種隔離政策)時代には感情も思う存分表現できなかったが、今は自由なので踊る」と話した。
自宅の前には黒人や白人や、手を握った親子など、多くの追悼客が来た。ここは恐怖を克服する勇気、許しと和解を教えた聖者マンデラ氏を賛える巨大な教育の場だった。アルゼンチン出身で30年間南アフリカ共和国で暮らした白人のセルジオ氏(56)は、「私たちは20年前、ユーゴ内戦やルワンダのように殺し合いをしてきたが、今はマンデラ氏を共に追悼している」と述べた。
全世界のメディアは、マンデラ氏の死後に失業や貧富の格差による社会不安や暴動、株式と通貨価値の暴落で南アフリカ共和国の経済が混乱に陥る「マンデラ・クラッシュ」が発生する可能性があるという警告を出した。しかし、このような憂慮は現実にならなかった。むしろ現地のムードは、マンデラ氏の死が社会的葛藤を治癒し、結束の契機になるという期待が大きかった。
プレトリアの大統領執務室前の追悼会場で会ったバートン・ジョセフ政権アフリカ民族会議(ANC)スポークスマンは、「南アフリカ共和国が現在の貧富の格差、失業、景気低迷で困難にあるが、過去にも多くの困難を勝ち抜いてきたようにすぐに克服するだろう」とし、「私たちは皆マンデラ氏の歩みの跡に従うなら、全世界に再び和合と繁栄の光を投げかけることができるだろう」と述べた。
マンデラ氏の同志だったデズモンド・ツツ大主教もメディアとのインタビューで、「マンデラ氏が亡くなった後、南アフリカ共和国が消えてなくなるという予想は、南アフリカ人とマンデラ氏の遺産の名誉を汚す」と語った。
南アフリカ共和国政府は15日までの10日間をマンデラ氏葬儀期間と宣言した。ハイライトは10日、ワールドカップ閉幕式が開かれたヨハネスブルクのFNBワールドカップ競技場(収容人数9万5000人)で行なわれる国民追悼会で、外国の首脳も多数出席する予定だ。マンデラ氏は15日に首都から700キロメートル離れた故郷のクヌで永眠する。






