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[オピニオン]オルガンのない場所

Posted September. 07, 2013 03:31,   

1960年代、江原道(カンウォンド)の山村のある国民学校に赴任した21才で独身男性の新米教師、カン・スハ。小さい弟をおんぶして教室に入ってきた17才の生徒、ホンヨン。ホンヨンはスハに片思いするが、スハの心は同じ学校のヤン・ウンヒ先生に向かっている。よくあるストーリーのロマンスは、郷愁を刺激し、観客をスクリーンの中に引き込む。1999年上映の映画『我が心のオルガン』には、あの時代を懐かしくさせる片鱗に満ちている。映画で、スハとウンヒは一緒にオルガンを弾いて心を通わす。近づけば再び遠ざかる「箸の行進曲」を。

◆オルガンは1896年頃、宣教師が韓国に初めてもたらしたと推定される。1909年4月27日付の皇城新聞には、「官立高校でオルガンを使用している」という記事がある。韓国の西洋音楽教育は、このようにオルガンと共に始まった。昔の学校風景を再現した博物館にオルガンと豆炭暖炉が展示されているのには理由がある。申京淑(シン・ギョンスク)の小説『オルガンのあった場所』が2002年に米国で翻訳されたが、題名が『目の見えない子牛』になった。米国の読者が、学生時代と言えばすぐにオルガンを思い出す韓国の情緒を正しく理解できないという理由からだった。

◆オルガンが小学校から消えた。その代わりに子どもたちはコンピュータ学習プログラムで童謡を学ぶ。2005年頃、「教壇先進化」政策によってコンピュータを活用した学習資料を開発してからだ。小学校の教師になるには必ずオルガン演奏試験を受けなければならなかったが、この制度も1998年になくなった。時代が変われば教育方式も変わるべきだが、カラオケでもない学校で機械音に合わせて歌を歌うという現実がもの悲しい。

◆朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は昨年の大統領選挙の時、学校の芸術・体育教育の強化を約束した。芸術・体育教育が人格の確立に大きな影響を及ぼすためだろう。その点で、オルガンの退出は残念だ。正確な音程と拍子を学ぶだけでなく、歌と演奏が溶け込むのを実感することも音楽教育の重要な目標ではなかろうか。接することが難しいアナログの感性を培うこともできる。いつか子どもたちはオルガンの音が分かるだろうか。いや、オルガンを見たことがあるかどうかで世代が分かれるかも知れない。

イ・ジェミョン論説委員egija@donga.com