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血と死で守ったNLL

Posted July. 03, 2013 08:17,   

「チョ・チョンヒョン下士とファン・ドヒョン下士は、機関砲の引き金を両手でしっかりと握り、胸に抱いたまま息絶え…」

2002年6月30日、京畿道平沢市(キョンギド・ピョンテクシ)の海軍第2艦隊司令部の記者会見場。前日、北朝鮮軍と地獄のような交戦をした将兵たちは、言葉を続けることができなかった。悲しみとうっ憤が交錯し、むせび泣く声も聞こえた。将兵たちは、北朝鮮の挑発がどれほど悪らつで、西海(ソヘ・黄海)北方限界線(NLL)を守るためにどれほどの犠牲を払ったのか証言した。

北朝鮮の警備艇は、韓国海軍の高速艇357号の操舵室を奇襲砲撃して足を縛った後、執拗に追いかけてきて無差別に射撃した。数百発の敵弾を受け、357号の船体は無残にも破壊され、内部では死傷者が倒れ、地獄と化した。鼓膜を突き刺すような爆音と悲鳴、助けを求めるうめき声が四方から聞こえた。船底は死傷者の血が川のようになっていた。

火炎と真っ黒な煙で包まれた艦橋では、医務兵のパク・ドンヒョク上等兵が艇長であるユン・ヨンハ大尉に心肺蘇生をしていた。しかし、敵の砲弾を受け、絶命したユン大尉の体は冷たくなっていた。そのそばでは、副長(副指揮官)のイ・ヒワン中尉が倒れたまま乗組員に指揮を与えていた。彼の左足は砲弾の破片を受けて骨が砕け、右足は破片が貫通していた。降り注ぐ敵弾の中、負傷者を介抱するパク上等兵も、背中と腹部など全身に100個余りの破片を受けて負傷し、倒れた。

357号の将兵たちは、敵弾で指を切断し、全身に傷を負いながら、無我夢中で応戦した。戦闘のあったその日にユン大尉ら4人が戦死し、ハン・サングク下士が行方不明になり、19人が負傷した。その後、パク上等兵が83日後に死亡し、ハン下士の遺体が発見され、戦死者は6人に増えた。パク上等兵の心拍が止まった瞬間、彼を治療したある軍医官は、「私たち皆の胸に穴が空いた」と日記に書いた。戦死者6人は1階級特進し、武功勲章が叙勲された。第2延坪(ヨンピョン)海戦はそうして終わった。NLL死守は若い英雄の血と死の代価だった。

しかし、金大中(キム・デジュン)政府は、彼らを徹底的に冷遇した。交戦2日後に行なわれた合同告別式に軍統帥権者は現れなかった。首相と国防部長官、合同参謀議長も参列しなかった。NLLを守った英雄への冷遇を非難する声が激しかったが、政府は無言を通した。1ヵ月後、北朝鮮が双方の責任を云々し、「偶発的な武力衝突事件を遺憾に思う」という電話通知文を送ってきたが、政府は何の異議も提起しなかった。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府も別段大差なかった。2003年から2007年まで毎年追悼式が開かれたが、大統領は出席しなかった。3周忌追悼式から国防長官が、5周忌追悼式に首相が出席したのがすべてだった。遺族と生存者は、第2延坪海戦が「忘れられた戦闘」だと血の涙を飲んだ。

盧武鉉政府はなぜNLLを守った英雄にそれほどまでに冷淡だったのか。最近公開された2007年の南北首脳会談の会議録を見てその疑問が解けた。盧元大統領は、金正日(キム・ジョンイル)総書記に会って、NLLを「悩みの種」とし、「何か怪物のように」、「(触れば)騒々しい」と蔑んだ。金総書記と認識が一致していると言って、NLLを変更しなければならないとも発言した。これに対して金総書記は、「前回の西海事件の時も、実際に痕跡があるのか」、「海に描いた地図であり、北方限界線、軍事境界線に何の意味があるのか」と応じた。

彼らにNLLは南北の和解平和の障害物であり、悩みの種だった。平和を装った北朝鮮のNLL無力化計略にはまった大韓民国の軍統帥権者にNLLを死守した英雄は眼中になかった。

野党民主党の文在寅(ムン・ジェイン)議員は最近、ツイッターを通じて、「血と死でNLLを守ってきた歴史を終わらせよう。これ以上、血を流し死ぬことがない平和をつくろう」と主張した。しかし、NLLと西海を血と死の海にした北朝鮮の挑発責任には言及しなかった。

第2延坪海戦の戦死者は、左派政府が北朝鮮に与えることで得た「空しい平和」の犠牲だった。二度と偽りの平和の犠牲者が出てはならない。北朝鮮の心からの謝罪とNLL無力化放棄がなくては、血と死で綴られたNLLの歴史は忘れられることはなく、また忘れられてはならない。それがNLLの悲劇的な歴史と断絶し、真の平和を成し遂げる要諦ではないだろうか。11年前、西海を血で染め、NLLを守った6人の英雄の霊前に一輪の菊を捧げる。