今日の社会保障制度は、2人の巨人に恩義を浮けている。1人は、ドイツの鉄血宰相ビスマルクだ。1880年代後半、急激な産業化で労働者の失業と病気が社会問題化した時、病気、災害、老齢の3大保険を導入した。加入者が拠出金を払い、必要な時に給与を受ける世界初の社会保険だった。もう1人は、英国の経済学者ウィリアム・ベヴァリッジ(1879〜1963)だ。第2次世界大戦の真っ最中だった1941年、チャーチル内閣は終戦後の国家ビジョンを提示し、国民に希望を与えるための委員会をいくつか設置した。そのうちの1つが、国民の社会保障概念を創案したベヴァリッジ委員会だ。
◆同委員会が1942年に政府に提出した報告書の本来の名称は「社会保険と関連サービス」だった。委員長を務めたベヴァリッジの名前を取って、ベヴァリッジ報告書と呼ばれた。報告書は、英国社会の発展を遮る5大悪として欠乏、病気、無知、不潔、堕落を挙げた。5大悪を撲滅できる核心案が貧困退治だった。ベヴァリッジは、貧困退治のために資産や所得に関係なくすべての国民が最小限の生活保障を受ける必要があると主張した。普遍主義とナショナル・ミニマムがベヴァリッジ報告書の2大原則だった。無償保育、無償医療、完全雇用のビジョンに国民は熱狂した。
◆1945年に戦争が終わり、英国は戦時議会を解散して総選挙を実施した。戦争の英雄チャーチルが率いる保守党は財源不足でベヴァリッジ報告書の実践が難しいため、不明瞭な態度を取った。一方、労働党はベヴァリッジ報告書の積極的な実践を掲げた。選挙の結果、国民は国を救ったチャーチルに背を向け、「甘い福祉」の労働党を選択した。圧勝を収めた労働党は、報告書の提案どおり1945年に家族手当、1948年に国民保健サービス(無償医療)を導入し、「ゆりかごから墓場まで」という社会保障の枠組みを築いた。
◆英国をはじめとする欧州で、「高負担—普遍福祉」が可能だったのは、NATO(北大西洋条約機構)によって国家別の防衛費負担が相対的に減少したうえ、共産主義ソ連との体制競争のために福祉が必要という共感が形成されたためだ。しかし、今やすべての国民を対象にした社会保障は欧州でも改革の対象だ。大統領引き継ぎ委員会が福祉行政改革のための「韓国版ベヴァリッジ委員会」を大統領あるいは首相の下に設置するという。福祉財源年間100兆ウォン時代を迎え、省庁別に分散した福祉プログラムの重複と非効率を改善するための統合調整機構だという。しかし、ベヴァリッジ委員会はアイデアバンクであり、実行機構ではなかった。事の順から見て、朴槿恵(パク・クンヘ)政府は経済水準と時代の要求に応じる福祉原則を先に確立する必要がある。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com






