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「朴婉隺文学村」計画、「母は喜ばないでしょう」と遺族に断られて中止

「朴婉隺文学村」計画、「母は喜ばないでしょう」と遺族に断られて中止

Posted August. 06, 2011 06:49,   

「母は生前からアチウルという名を愛しました。村の名前が『朴婉隺(バク・ワンソ)村』に変わることをあまり喜ばないと思います」

今年2月に死去した小説家、朴婉隺氏(写真)が暮らした京畿道九里市(キョンギド・クリシ)の峨川洞(アチョンドン=アチウル村)に造成する予定だった「朴婉隺文学村」が、遺族らの意思を尊重して中止したことが、5日確認された。生前から自分の名をとった行事や事業にあまり「乗り気でなかった」故人の遺志を受け継ぎ、遺族らが九里市の事業計画を、丁寧に断ったからだ。

今年2月、九里市は故人の記念事業を推進する計画を明らかにした。京畿道開豊(ケプン=現在は黄海北道開豊郡)出身の故人が、1998年から死去するまでの13年間暮らした峨嵯(アチャ)山の麓に位置するアチウル村を「朴婉隺文学村」に造成する計画だった。

生家周辺に文学館や文学公園、文学碑などを立て、故人が生前に作品について構想し、散歩したチャンジャ湖公園〜鍛冶屋村〜峨嵯山高句麗(ゴグリョ)砦をつなぐ「文学遊歩道」(約4キロ)も整備する予定だった。九里市は、「九里市の行政機構や庭園条例施行規則」を改正し、記念事業の専従チームも立ち上げた。

しかし、遺族らは5月、九里市に対し、遠まわしに断りの意思を明らかにした。長女のホ・ウォンスク(随筆家)を始め、遺族らは、「母は生前から地域社会を愛し、アチウルでの生活が好きでした。しかし、作家が暮らしているからといって、いかなる標を残すことを望まなかったし、朴婉隺記念館も望まなかった」と主張した。また、「母は、普通の人々の中で暮らす事を希望し、本を持って人々の記憶の中に残ることを望んだ」とし、事業を引き止める意思を明らかにした。ホ・ウォンスク氏は記者との電話インタビューで、「文学村の造成は、母が生前の時も望まなかったことだ」と主張した。しかし遺族らは、学校や図書館主催で、生徒らが故人の自宅を訪問する「教育プログラム」には協力することにした。

九里市は、遺族らの意見を考慮し、関連事業を中止させたが、09年から九里市のインチャン図書館で運営している朴婉隺資料室は、これからも正常に運営することにした。ここには、「裸木」の初版を始め、故人の作品177点と直筆原稿、写真などが展示されている。



hic@donga.com