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[オピニオン]ゲイツ氏とアレン氏の「共同経営」

[オピニオン]ゲイツ氏とアレン氏の「共同経営」

Posted April. 02, 2011 10:54,   

マイクロソフト社の創業者の一人であるビル・ゲイツは、米シアトルの私立学校に通っていた時代、人性の転機を迎えた。ゲイツが13歳に入学したレイクサイド私立学校の母親クラブは、チャリティーショーの収益金で、ゼネラル・エレクトリック(GE)コンピューターの使用時間を購入することにした。コンピューターがほとんど無かった当時としては、珍しいことだった。これをきっかけに、ゲイツは、GEシステムでベーシックというコンピューター言語を使ってプログラムを作ることに興味を持ち始めた。一般人はコンピューターを一度見るのも難しい時代だった。お母さんたちの「先見の明」がなかったなら、今のビル・ゲイツは存在しなかったかもしれない。

◆ゲイツの同級生だったポール・アレンを抜きにして、マイクロソフト社の創業を語ることはできない。ゲイツとアレンは、インテルの新しいマイクロプロセッサを使って、交通量測定計算機を開発し、初年度だけで2万ドルの収益を上げた。ゲイツはハーバード大学に進学し、アレンはワシントン州立大学に入学したが、しばらくして学校を止め、ボストンでプログラマーの職に就く。その後小型コンピューター会社に転職したアレンは、休学して一緒に事業を起こそうとゲイツを説得する。そして二人はマイクロソフトの共同創業に至る。

◆歴史に残るような成功を収めた二人だが、その後友情にヒビが入った。アレンは1982年ゲイツと決別し、投資会社の代表になった。今月17日に発刊予定の自伝「アイデアマン」で、ポール・アレンは、ゲイツのことを「貪欲な人物」と表現した。アレンは「1982年(リンパ)ガンで治療を受けていたとき、ゲイツは私の持分を減らすために、ストックオプションを発行しようとした」とし、これが二人の決別の原因になったと主張した。世界最大のソフトウェア帝国を共に築き上げた二人は、なぜ別れてしまったのか。エンジニア気質のアレンが、事業家気質のゲイツを誤解してしまったのか。共同経営の難しさを改めて実感させられる。

◆共同経営者は最初意気投合して手を組むが、年月が流れると関係は疎遠になりがちだ。今は韓国屈指の企業となった三星(サムスン)の創業者・李秉迵(イ・ビョンチョル)元会長と暁星(ヒョソン)の創業者・趙洪済(チョ ・ホンジェ)元会長も、1948年第一(チェイル)毛織と第一製糖を共に創業したものの決別し、それぞれさらに大きい企業を築き上げた。子孫に相続すれば同業が続かないケースもあるが、代が変わっても共同経営体制を維持した美しいケースもある。LGグループの共同創業者である具(ク)氏一家と許(ホ)氏一家は、57年間関係を維持し、紛争の無いすばらしい分かれ方をした。企業の歴史の長い西洋より共同経営が厳しいといわれる韓国では、異例のこととも言える。

朴永均(パク・ヨンギュン)論説委員 parkyk@donga.com