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ソウルの宮城県事務所長「宮城県は私の全て…韓国人の援助に感謝」

ソウルの宮城県事務所長「宮城県は私の全て…韓国人の援助に感謝」

Posted March. 16, 2011 06:57,   

15日、再び訪れたソウル中区貞洞(チュンク・チョンドン)の宮城県ソウル事務所には、東北関東大地震が起きた11日午後に見られた不安感や焦燥感はなかった。鳴り続いていた電話も静かだった。寂寞とした感じが漂っていた。NHKに耳を傾け、必死に被害状況をチェックしていた11日とは違い、同日、事務所にいた職員5人は、深い悲しみで疲れたように無表情で、会話もなかった。テレビで被害情報が伝えられると、彼らは言葉もなく、テレビを消した。

「最近毎日、宮城県庁の同僚から電話がきます。『職員の誰々の父親が死んだ』、『職員の誰々の母親が死んだ』という知らせです」。「地震」という単語を聞く度に、ショックを受けたように目をそっと閉じ、心を落ち着かせようとしていた阿部貴夫所長(47)は、重い口を開いた。彼も事情は同じだ。年老いた両親と弟夫婦、そして甥や姪が、11日の大地震の発生後、連絡が取れていない。

阿部所長は、2年前、韓国に来る前、東北関東大地震の最大被害地域である宮城県で、人生の大半を送った。ソウルに派遣されるまでは、宮城県庁で公務員として働いていた。阿部所長の生涯が込められた宮城県の町は、遺体2000体が発見され、駆け回った町は水に沈んだ。阿部所長は、「宮城県は私の生涯」と言いながら、悲しげに泣いた。

宮城県ソウル事務所は、県庁から被害規模の公式発表を待っている。被害状況が拡大を続け、死傷者推移を把握することが無意味だと判断したためだ。阿部所長は、「地震が起きた後、宮城県の家族、友人を探してほしいと頼まれたが、私たちも現地と連絡が取れず、助けることができないことがとても辛い」と話した。さらに、「援助してくれる韓国人に心より感謝する」と言い、立ち上がり、90度に腰を曲げ、挨拶した。

宮城県ソウル事務所は、宮城県とソウルの文化交流を拡大し、経済交流を活性化するために、1992年に設立された宮城県初の海外事務所だ。日本現地の情報を伝えることに全力を尽くしている。

◆宮城県地震義援金の受付

△口座番号:国民銀行 411401−01−225230

△口座名:宮城県ソウル事務所

△02−725−3978



hjson@donga.com