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韓国代表のワイルドカード悪縁、朴主永と金正友が断ち切った

韓国代表のワイルドカード悪縁、朴主永と金正友が断ち切った

Posted November. 17, 2010 06:56,   

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広州アジア大会に出場した韓国五輪サッカー代表チームの朴主永(パク・ジュヨン=ASモナコ)と金正友(キム・ジョンウ=尚武)には共通点が2つある。ワイルドカード(24歳以上)で洪明甫(ホン・ミョンボ)号に乗船し、15日、中国との16強戦で並んでゴールを決めて猛活躍した。

ワイルドカード制度は五輪とアジア大会にのみある。五輪は1996年アトランタ大会、アジア大会は02年釜山大会から導入された。ワイルドカードは監督にとって魅力的なカードだ。23歳以下の選手で作られた若い代表チームに、洗練なテクニックと経験の豊かな選手が入ることで弱点を補完することができる。苦手なポジションへの補完も可能だ。しかし、韓国サッカーはワイルドカードで得したことがなかった。かえって足を引っ張られた時もあった。

初めてワイルドカード選手が導入された1996年のアトランタ五輪。当時、代表的な攻撃手だった黄善洪(ファン・ソンホン)、河錫舟(ハ・ソクジュ)、李林生(イ・イムセン)が出場した。結果は惨憺たるものだった。李林生は負傷で中途帰国し、黄善洪は1試合だけ出場した。最終戦績1勝1引き分け1敗でグループリーグから脱落した。00年シドニー大会の時は、洪明甫、金度勲(キム・ドフン)、金相植(キム・サンシク)が選ばれた。洪明甫は負傷で大会直前に帰国し、その代わり姜哲(カン・チョル)が投入された。姜哲はこれといった活躍を見せられず、金度勲も無得点にとどまった。

02年韓日ワールドカップ(W杯)4強の主役である李雲在(イ・ウンジェ)、金泳徹(キム・ヨンチョル)、李栄杓(イ・ヨンピョ)が出場した02年釜山(プサン)アジア大会ではワイルドカードがかえって敗北の原因になった。イランとの4強PK戦で、GKを務めた李雲在は1ゴールも防げず、李栄杓はミスキックした。結局、決勝進出に失敗した。04年アテネ五輪でも同じだった。金南一(キム・ナムイル)は大会前負傷で抜け、柳想鉄(ユ・サンチョル)は目立つ活躍を展開できなかった。

06年ドーハアジア大会(金東進、李天秀、金斗鍱)、08年北京五輪(金正友、金東進)で李天秀(イ・チョンス)と金東進(キム・ドンジン)が、1ゴールずつ決め、ワイルドカードの不運を払拭するかのように見えたが、期待には及ばず、成績も今一だった。結局、ワイルドカードは「使っても役立たず」という言葉まで出た。

しかし、今回のアジア大会は違う。朴主永と金正友は、得点はもちろん、若い選手らにはっぱをかけ、先輩としての役割を全うしている。洪明甫監督は、「試合中、朴主永がゴールを決めて金正友がプレーを調律する。2人ともワイルドカードとして責任感を感じているようだ」と満足を示した。ワイルドカードの悪縁切りに成功した洪監督は、19日、8強の相手のウズベキスタンとの悪縁切りに乗り出す。韓国は1994年広島大会の準決勝でウズベキスタンを一方的に追い詰めたにも関わらず0対1で破れた。洪監督は当時25歳という年齢で大会に出場した。8強戦では負傷を負い、準決勝戦に出場できず、ベンチで韓国の敗北を見届けた。



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