1993年12月、ウルグアイラウンド(UR)交渉の妥結により、米の開放が決定され、国民の気持ちをなだめる必要があった時、金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、黄寅性(ファン・インソン)首相を辞任させることで、真っ向から取り組んだ。1997年初頭、韓宝(ハンボ)事態と次男・金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏のスキャンダルにより、危機に追い込まれると、3月に李壽成(イ・スソン)首相を交替させた。就任後、半月も経たなかった1993年3月7日、YSは、ハナ会出身で軍部の力持ちだった金振永(キム・ジンヨン=陸士17期)陸軍参謀総長と徐完秀(ソ・ワンス=陸士19期)機務司令官を急きょ更迭した。5・16クーデタ後の30年間あまり、韓国社会を牛耳った軍部の墜落や軍部内特定人脈の清算を意味した。人事を通じ、国民に対しメッセージを送った金泳三流人事は、それなりに新鮮な衝撃を与えた。
◆任期を7ヵ月後に控えた姜熙洛(カン・ヒラク)警察庁長が5日、突然辞任の意向を明らかにした背景を巡り、議論が激しくなっている。姜庁長は、辞任の背景として、「政権後半期の国政刷新に向けた新たな陣容を整えるのに役立ち、警察の後輩のため」と明らかにしたが、言葉通りに受け止めることはできない。ソウル陽川(ヤンチョン)警察署での拷問捜査や児童性犯罪の頻発、下克上事件などの不祥事により、事実上更迭に近い勇退だという見方も出ている。与党の一部からは、4大権力機関の首長の特定地域への偏りを巡る議論を和らげるための布石という見方も出ている。
◆鄭雲燦(チョン・ウンチャン)首相は6.2統一地方選挙での敗北後や世宗市(セジョンシ)修正案の国会での否決直後など、3度に渡り辞意を明らかにしたことがある。李大統領により受理されるかどうかが曖昧な状態で、決定が見送られ、7.28再選・補欠選挙で与党ハンナラ党が勝利したのをきっかけに、辞任を公式に表明した。李大統領は、「もう少し一緒に仕事がしたくて、何度も引き止めたが、国民と国のための忠誠から辞意を表明し、大変残念に思う」と受け入れた。結局、鄭首相の交替は世宗市の否決のためか、それとも任期後半の国政顔ぶれの刷新のためだったのか、定かではない。
◆更迭も大切な人事だ。交替の意味が客観的に分からない人事なら、メッセージの側面からも成功人事とは言えない。主要人事をこっそり交替させながら、明確な意味を説明しない事例が繰り返されれば、人事による国民への訴えや説得力は落ちざるを得ない。人事の意味が何であるか、人事権者がガラス張りかつ明瞭に明らかにすることこそ民主主義社会での国民との意思疎通だ。
朴成遠(バク・ソンウォン)論説委員 swpark@donga.com






