8日午後、京畿道漣川郡中面(キョンギド・ヨンチョングン・チュンミョン)の三串里(サムゴッリ)遺跡。薄暗い空から雨が降っていた。白い線で境界を引いたへこんだ地面に電池の大きさの韓紙が張ってあった。1月20日に始まった三串里遺跡の発掘調査を終え、埋め立て作業の準備の一つだった。
韓国水資源公社がグンナムダムの建設のために周囲を調査した時に発見され、原三国時代の3世紀頃の鍛冶屋村であることが確認された。発掘した漢陽(ハンヤン)大学文化財研究所(李熙秀所長)は、いくつかの鍛冶屋のほかに、鉄の粉、火鉢、土器などを多量に発見した。
埋め立て作業は、調査を終えて、将来の世代が発掘する必要を考えて、元の状態のまま伝えるための過程だ。漢陽大学文化財研究所側は、韓紙を張る前に、オンドル部分が湿気のために変形しないよう硬化剤を塗り、木炭などの遺物や壁が割れたり、崩れないようギブスをするように石膏を塗った。
韓紙を張る時は、ぎっしりと張るのではなく、湿気を透過させる「穴」を作るために、正四角形ではなく傾けて張った。韓紙を張った後、砂を10〜20センチの厚さで覆い、その上に発掘の際に出た土を2メートルの高さに積み上げた。土が安定すれば芝の種をまく予定だと、漢陽大学文化財研究所側は明らかにした。
三串里遺跡調査指導委員の韓国伝統文化学校の鞖基同(ペ・キドン)総長は、「韓紙が自然に腐って層ができる。それが後日、覆った土と遺跡を区分する表示となる。この一帯に約1万枚敷いた」と話した。
いっぽう、漢陽大学文化財研究所側は同日、三串里遺跡の発掘品も数点公開した。このうち、端に桃の種約10個を埋め込んだ鍛冶炉(地面の土を掘りおこし、粘土で作った火鉢)が、一風変わった遺跡だった。
鞖総長は、「貴重な製品である鉄器を生産するために、『女性』の象徴である桃を埋め込んで、多産と豊穣を祈ったとみえる。邪鬼を退ける『辟邪』の意味もあったのだろう」と話した。
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