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許丁茂監督の愉快な変身、韓国サッカーに新たな可能性

許丁茂監督の愉快な変身、韓国サッカーに新たな可能性

Posted June. 14, 2010 08:17,   

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顔が赤く染まったサッカーの韓国代表の許丁茂(ホ・ジョンム)監督(57)は、全ての功労を選手に回した。12日、南アフリカ共和国ポートエリザベスのネスソンマンデラベイスタジアムで行われたグループリーグB組の初戦で、ギリシャを2−0で制して記者会見場に現れた許監督は、勝利の喜びはまだ残っていたが、予想外に落ち着いていた。韓国人監督としてワールドカップ(W杯)史上初勝利を収めたにもかかわらず、謙遜な態度で次の試合への覚悟を語った。

「正直、私は何もやったことがありません。選手たちがよくやってくれました。初勝利は飾りましたが、今始まったばかりです。我々は引き続き発展していかなければなりません。嬉しいですが、未来に備えるのが先だと思います」

同日の勝利よりは17日のアルゼンチン戦に集中する姿を見せた。

許監督はギリシャを制したことで、心に残っていた恨みを晴らした。1954年スイス大会を含めて7回出場した本大会で、韓国人監督としては一度も収めたことのない勝利を今大会で収めた。その中心に許監督がいた。W杯本大会進出56年ぶりに成し遂げた成果が許監督のものになった。

許監督はまた、個人的には00年代表監督から退き、W杯号を2回外国人監督に渡して以来初めて出場した舞台で、前人未踏の道を切り開いて自尊心を取り戻した。もうわざわざ外国人監督に頼る必要がないことを見せ付けた。

許監督は1998年、五輪代表とA代表の監督に就任し、00年、シドニー五輪と同年のアジア大会で成績が良くないという理由で退いた。あいにく、許監督以降、01年初め、オランダ出身のフース・ヒディンク監督が就任して以来、ウンベルト・コエリョ、ヨハネス・ボンフレール、ディック・アドフォカート、ピム・ファーベーク監督までずっと外国人が韓国サッカーを采配してきた。

ヒディンク監督は16強を越えてアジア最初の4強入りという成果を成し遂げた。07年末、ファーベーク監督が離れてから再び韓国人監督に指揮権が戻ってきて、許監督が監督に就任した。彼としては、「やっぱり国内派はだめ」と言われないためでも総力戦を展開した。その結果、国内派監督のW杯初勝利が出たのだ。

許監督は00年、シドニー五輪を控えて誰も関心を持たなかった朴智星(パク・チソン=マンチェスター・ユナイテッド)を抜擢して世論から厳しく批判された。しかし、朴智星は02年、韓日W杯4強神話の主役になり、韓国人最初のプレミアリーガーとして韓国サッカーのアイコンになった。許監督は、その朴智星と共に今回のW杯で韓国サッカーの新しい歴史を書いた。

許監督の生まれ変わったような変身ぶりも目立つ。絶対自分のスタイルを曲げないことで有名な彼がスタイルを完全に変えた。珍島(チンド)犬と呼ばれるほど頑固だった許監督は、徹底的に指示型指導者だった。

しかし、時代が変わって、そのやり方は全く効果がないことを実感した後は180度方向を変えた。和合・自律・肯定の3つを強調した。最近、許監督は隣のおじさんのようだ。練習の時も食事の時もいつも笑みを失わない。選手たちの過ちについて指摘はするは、絶対責め立てたりはしない。褒める場合も多くなった。

しかし、徹底的に実力で評価する。外国人監督が見せてくれたように、学縁・地縁・人脈を徹底的に無視して選手を選抜し起用する。負けた時は、「私の責任だ」と話し、勝った時は「選手たちがよくやってくれた」と話した。許監督の愉快な変身が韓国サッカーの歴史を変えている。



yjongk@donga.com