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[オピニオン]北朝鮮人権記録保存所

Posted April. 29, 2010 07:25,   

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ドイツの首都ベルリンは1945年、ソ連、米国、英国、フランスに分割で占領され、48年に東西に分断した。その後、東ドイツ住民の脱出が続いた。約250万人の東ドイツ人が自由を求め西ベルリンに渡り、東ドイツは61年8月11日夜、ベルリンの壁を作った。壁に沿って地雷を埋め、あちこちに警戒所も設置した。その時から、壁を越え、脱出を試みた多くの東ドイツ人が、銃撃を受けたり、地雷を踏んだりして犠牲となった。

◆東ドイツに接する西ドイツのニーダーザクセン州の州法務省は、連邦政府と別の州政府の協力を得て、61年11月24日、ザルツギッター市に中央法務記録所を設置した。脱出に成功した東ドイツ人が受けた人権弾圧の事例を6くらいの原則で記録し始めた。この作業は、東方政策を展開したブラント首相が、東ドイツと基本条約の締結後も続いた。東ドイツは、ドイツの一部であり、人権は主権を越えた人類の普遍的価値と判断したためだ。この資料は、統一後、一部の東ドイツ人に対する起訴の根拠に使用され、雇用身元照会資料としても使われた。

◆北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)集団が、政治犯収容所で行う人権弾圧をすぐに犯罪として処罰できないが、これらの犯罪事実を一つ一つ記録し、控訴時効も停止する必要がある。05年から与党ハンナラ党議員らは、北朝鮮人権記録保存所を設置する内容の北朝鮮人権法案を作成した。しかし、李明博(イ・ミョンバク)政権の統一部が、北朝鮮との交渉妨害になるとして、反対し、昨年末、国会外交通商統一委員会は、北朝鮮人権記録保存所の設置を外し、北朝鮮人権法案を作成し、可決した。その代わりに、統一部は北朝鮮人権財団を設置し、この問題を任せることにした。関連法案が国会法司委で係留中だが、いつ通過するか分からない。

◆黄長鎏(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記を暗殺する工作員を送ったことは、テロ行為だ。1万7000人を越える脱北者は、大半が北朝鮮で深刻な人権弾圧を経験した。関連証拠と記録をきちんと積み上げるなら、北朝鮮政権の主犯や手下も気になるだろう。過去、金大中(キム・デジュン)政権は、西ドイツの東方政策を模倣し、太陽政策を施行したが、人権記録保存所は外した。北朝鮮を圧迫する手段を自ら投げ出したのだ。現政権もこの範疇から抜け出せないのなら情けないことだ。

李政勲(イ・ジョンフン)論説委員hoon@donga.com