安重根(アン・ジュングン)義士殉国100年を追悼する行事が、26日に全国各地や海外で行われた。
国家報勲処は同日午前、ソウル市庁前ソウル広場で、「民族の灯火、平和のたいまつ」というタイトルの中央追悼式を行った。追悼式には、鄭雲燦(チョン・ウンチャン)首相をはじめ柳明桓(ユ・ミョンファン)外交通商部長官、金泰栄(キム・テヨン)国防部長官、金揚(キム・ヤン)国家報勲処長官ら政府関係者、遺族、光復(クァンボク)会員ら約2000人が参加した。
鄭首相は追悼の辞で、「まだ安義士の遺骨を発掘できずにいることは、残念で恥ずかしいことだ。安義士の遺骨奉還をはじめ、烈士の高い意志を継承するために最大限努力する」と述べた。追悼式の後、鄭首相が「平和のたいまつ」に点火し、関係者や韓国をはじめ中国、日本から参加した市民や青少年たちが、ソウル広場から光化門(クァンファムン)広場までの1キロを行進した。
李明博(イ・ミョンバク)大統領は同日、大統領府で開かれた拡大秘書官会議で、「(安義士に)申し訳ないと思うのは、『私が死んだ後に私の骨をハルビン公園のそばに埋めて、国権が回復したら故国に移してほしい』と遺言を残したが、今までその意志を果たせずにいることだ。遅くなったが、日本だけでなく中国とも協力して、遺骨を迎えられる可能なすべての方法を模索する」と明らかにした。
ソウル明洞(ミョンドン)聖堂では同日午後、ソウル大教区長の鄭鎮奭(チョン・ジンソク)枢機卿の執典で、安義士追悼ミサが行われた。鄭枢機卿は講論を通じて、「安義士が義挙後に真っ先にしたことが祈祷であり、刑務所でも10分間、祈りを捧げて堂々と刑場に歩いていった。あの方は、自分の行動が天主教の信仰と教理に外れていないと確信していた。あの方の独立闘争と義挙は、信仰の延長線上にある」と述べた。
同日、ソウル広場で中央追悼式が開かれた時間に、安重根義士記念事業会などは、安義士の墟墓がある孝昌(ヒョチャン)公園で追悼祭を行った。培花(ペファ)女子高校など、ソウル市内の約10の学校では、1万人余りの学生が献詩の朗読と手形を押すイベントに参加した。
京畿道安城市(キョンギド・アンソンシ)の美里川(ミリネ)聖地内のシルバータウン・有無相通マウルでは、安義士の銅像の除幕式が開かれ、坡州(パジュ)出版都市では、安義士の幼名をとった応七(ウンチル)橋を渡るイベントが行われた。
米ニューヨークでも、白凡金九(キム・グ)先生記念事業会、光復会、興士団ニューヨーク支会の共同主催で、500人が参加して追悼式や遺墨展示会などが開かれた。
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