「みんな、どこにいるの?大変だろうけど、頑張るのよ。元気な姿でまた会おうね!」
映画俳優のイェ・ジウォンさんは、ハイチで大地震が発生したというニュースを聞いてから、眠れない日が続いている。昨年3月、チャ・インピョ、シン・エラさんなど同僚の芸能人たちと一緒に、国際救護団体のコンパッションの一員としてハイチを訪問したことを機に後援している2人の子どものことが心配になったからだ。
15日、ソウル江南区新沙洞(カンナムグ・シンサドン)のコンパッションハウスを訪れたイェさんは、コンパッション本部側に子どもたちの生死の確認を要請したが、「当地と連絡がつながらない」という返事だけだった。彼女にできることは、空色のワンピースを着て撮った黒人少女のマリ・ロデス・ステイシちゃん(7)の写真とプレドスン・ゲリネ君(8)からもらった手紙を撫でながらお祈りを捧げるだけだった。
昨年3月、ハイチの首都ポルトープランスに到着したイェさんの目に真っ先に入ったのは、赤肌になった荒涼とした山だった。全国民の80%が失業者で1日1ドル未満で暮しているハイチはで痩せているのは人だけではなかった。地も干からびていれば、草も乾き、牛も犬も痩せていた。子どもたちは、汚れた泥にバーターと塩を入れて作った泥クッキーで空いたお腹を満たしていた。
「教会で1人の子どもを抱きました。その子が私を見る目つきは、まるで80歳のお年寄りみたいでした。映画『ベンジャミン・バトン、数奇な人生』のように、もう人生が終わった子どもみたいでした。その目つきをみてからは、とてもそのまま離れることができませんでした」
イェさんは韓国に帰ってきた後、ハイチに住む子ども2人とケニアに住む子どもたちの合わせて5人に毎月、養育費(3万5000ウォン)を後援してきた。コンパッションのハイチ支部は、後援者の寄付金で子どもたちに食料や衣類、医薬品を支援し、学校にも行かせている。イェさんは、2〜3ヵ月に1回ずつ子どもたちと手紙や写真をやり取りしながら、子どもたちが成長していく姿に感動を覚えた。
「こんにちは。イェ・ジウォン姉さん。私は母が船の事故が亡くなり、父と暮らしています。私を学校へ行かせてくださってありがとうございます。入学して4度目の試験を受けましたが、成績がよくて気分が良いです」(プレドスン・ゲリネ)
「父は力仕事をしていますが、仕事があまりないです。私は家で掃除や水を汲んで運ぶことをしています。勉強はあまりできませんが、歌を歌うのが好きです」(マリ・ロデス・ステイシ)
イェさんはこの日、子どもたちが昨年末に送ってきた手紙をまた取り出して、この手紙が子どもたちの最後の手紙になるかも知れないという心配で涙を浮かべた。イェさんは、「私たちは、大惨事で数万人が命を失ってあとに、初めて地球村の人々のことに関心を持つようになる。日ごろから少しだけでも周りを見渡せば、私たちがどれほど感謝すべき人生を送っているかに気付くはずだ」と話した。
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