「学生時代に韓日会談反対デモを経験しながら日本に関心を持つようになりました。日本が韓国に対して、今後どのような政策を取るのか、その答えを日本古代史から得られるだろうと考えたのです」
任那日本府説の虚構性を究明し、日本古代史と韓日関係史の研究に打ち込んできた高麗(コリョ)大学の金鉉球(キム・ヒョング)歴史教育科教授(65)が2010年2月で定年退職する。1985年に同科教授に赴任して25年ぶりだ。金教授は8日、高麗大学で行われた告別講演で「『日本近現代史』の最後の授業を終えて静かに去ろうとしたけど、学科長の提案でここに立った」と感謝の意を表した。
金教授が1977年、日本早稲田大学に留学に行くときは、まだ国内の日本史研究は不毛の地だったし、帰国後の見込みも不透明だった。日本の学界は、細かいテーマー一つにも数十の論文が出ていて、割り込める余地が見えなかった。韓国と日本の学界のレベルの差を思い知った。
「当時、早稲田大学の交換教授だった姜萬吉(カン・マンギル)高麗大教授と1年くらい一緒に自炊をしたけど、飲むと必ず、姜さんは韓国史に専攻を変えることを勧誘していました。ちょっと揺れた時期もありましたね」
金教授は、「毎日を本と格闘しているうちに日本古代史の研究には任那日本府説を根底にあるためり、韓国との関係で客観性を欠いていることが見え始めましたね」と振り返った。その後、三国統一を前後した韓日関係史の研究にまい進した。
当時、韓半島南部に倭軍が入って来ていたという記録は残っているが、これは百済の先進文物と倭の軍事力をお互いに交換していたに過ぎなく、日本が韓半島南部を支配していたわけではないことを研究成果として出した。このような成果を整理した論文「大和政権の対外政策」で1985年に博士号を取った。
金教授は、韓国の歴史学界が自国中心の研究から抜け出せていない現状に苛立ちを見せた。「東アジアが協力関係に進んでいる今の状況に対処するためには、東アジア史、世界史の流れのなかで韓国史を見る必要があります」
金教授は、退任後、一般向けの歴史書を執筆する計画だ。いま構想を練っているのは任那日本府説に関する研究結果を分かりやすく解説した本だ。韓国語で「任那日本府説は虚構か」を出して、日本語でも「韓半島南部経営論は事実化」を出版したい。
金教授は、さらに「最近の歴史ドラマや小説は事実に基づいていないため生命力が短い。これまで集めた史料をもとに金秋春(キム・チュンチュ)の三国統一での活躍を描いた歴史小説を書いてみるつもりだ」と語った。
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