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「ああ!最後の42.195キロ」 李鳳柱が泣いた

「ああ!最後の42.195キロ」 李鳳柱が泣いた

Posted October. 22, 2009 08:06,   

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先月23日、プロ野球の最高齢選手だったハンファの宋津宇(ソン・ジンウ、43)選手の引退試合に、野球人ではない1人の選手が招待された。「誠実さや根気強さなら、私より上です。しばらくの間、このような選手がまた出るとは思いにくいですね」。プロ野球の「生きている伝説」と呼ばれた宋津宇は、21年間の現役生活に終止符を打つ席で、自分が招待したその選手についてこう評価した。そして、1ヵ月後、この選手は宋津宇の評価がだたの言葉ではなかったいということを証明してみせた。

「国民マラソンランナー」李鳳柱(イ・ボンジュ、39=三星電子)が引退競技を優勝で飾り、マラソン人生の幕を閉じた。彼は21日、大田(テジョン)で開かれた第90回全国体育大会マラソン男子一般の部に忠清南道(チュンチョンナムド)代表として出場し、2時間15分25秒の記録で1位を記録した。1990年、忠清北道(チュンチョンブクド)全国体育大会でマラソンフールコースを初めて完走して以来、現役最多の41度の完走記録を立てた。

「引退競技なので、完走することを目標にする」と話した。しかし、実際のレースでは違った。李鳳柱は30キロ地点から独走し始めた。2時間17分32秒で2位に付けたユ・ヨンジン(30=清州市庁)より2分7秒先に決勝ラインを通過した。

李鳳柱は、「ゴールのテープが胸に当る瞬間、様々な感情が交錯した。これが最後だと思ったら、心の中から何かが込みあげてきた」と最後のレースを終えた感想を語った。

41度の完走の中で、どの競技が一番記憶に残っているだろうか。李鳳柱は1996年、アトランタ五輪で銀メダルを取り、01年ボストンマラソンで優勝した。1996年バンコク、02年釜山(プサン)アジア大会では金メダルを獲得した。そして、00年東京マラソンで立てた2時間7分20秒は、9年目になる今年まで破られていない韓国記録だ。

しかし李鳳柱は、同日優勝で飾った引退競技を人生最高のレースに挙げた。「後輩たちに恥ずかしい姿を見せたくなかったが、希望が叶ったようだ」と話した。韓国マラソンをけん引してきたリーダーにふさわしく、自分のブランクに対する心配と共に後輩らに対するアドバイスも忘れなかった。

「今日のレースでも感じたのですが、後輩らは相手選手のレースを気にし過ぎます。自分だけのレースを自信を持って展開する必要があります」

李鳳柱は、「涙のない男だ」というのが周りの人々の話だ。李鳳柱自身も、「マラソンを始めて以来、泣いた覚えがないようだ」と話した。その彼が、この日は涙を流した。競技の後の引退式で20年にわたる選手生活を振り返る瞬間にそうだった。「ボンダリ(李鳳柱のニックネーム)」の涙は美しかった。



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