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北朝鮮が44年ぶりW杯出場、史上初の南北同時出場

北朝鮮が44年ぶりW杯出場、史上初の南北同時出場

Posted June. 19, 2009 04:56,   

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18日、サウジアラビア・リヤドのキングハーリド競技場。90分の激戦が終わり、延長時間5分が過ぎ終了ホイッスルが鳴ると、北朝鮮の選手らはお互い抱き合い、感激を分かち合った。ストライカーの鄭大世(チョン・デセ、川崎)は上着を脱いで、涙を流した。キム・ジョンフン監督も涙を堪えられなかった。

北朝鮮は、10年南アフリカ共和国ワールドカップ(W杯)アジア地域B組最終予選・サウジアラビアとの最終第8戦で、0対0で引き分けた。北朝鮮はサウジと並び、3勝2敗3引き分け(勝ち点12点)となったが、ゴール得失点(北朝鮮+2ゴール、サウジアラビア0ゴール)でリードし、2位で本大会への直行チケットを獲得した。北朝鮮のW杯本大会進出は史上2度目。8強神話の1966年イングランドW杯以後、44年ぶりのことだ。これで早くもB組1位を確定付けた韓国と北朝鮮は、史上初めてW杯本大会に共に進出することになった。

●60年代、アジアの虎から下り坂へ

44年ぶりにW杯本大会の舞台に漕ぎ付けるまで、北朝鮮の道のりは順調でなかった。1950、60年代の北朝鮮は、アジア最強だった。当時、韓国は北朝鮮との対戦が負担となり、W杯予選に参加しなかったこともあった。本大会初出場となった1966年イングランドW杯で、北朝鮮は8強まで勝ち進み、世界のサッカー界を驚かせた。

しかし、それっきりだった。1970、80年代、北朝鮮は閉鎖的な体制や経済難などにより下り坂となった。1970年メキシコ、1978年アルゼンチンW杯の予選には、出場すらしなかった。1974年ドイツ(当時は西ドイツ)と1986年メキシコW杯の時には、1次予選も通過できなかった。1982年、スペインW杯では最終予選進出に至らなかった。

1990年イタリア、1994年米国W杯の時は、最終予選には進んだものの、最下位に止まった。北朝鮮は1998年フランス、02年韓日W杯予選には出場しなかった。12年ぶりに再度参加した06年ドイツW杯で、最終予選1勝5引き分けで最下位に低迷した。

●1966年W杯の思い出を呼び起こす

核問題などで関心を集めている北朝鮮の本大会進出に、外信は大きな関心を示した。APやAFPなど通信社をはじめ、英国BBC、テレグラフ、米CNNなどの海外のマスコミは、一斉にこのニュースを報じた。

テレグラフは、「北朝鮮が1966年W杯の思い出を再び呼び起こしつつ、本大会に進出した」と報道した。同紙は北朝鮮の本大会行きが確定する前から、「北朝鮮がW杯進出を機に外交的な暴風を準備している」との解説記事を載せたりもした。米国のマスコミも、大きな関心を示した。ワシントンポストは、「1998年フランスW杯の時、米国とイランが同じ組になったように、米国と北朝鮮が本大会で同じ組になる可能性がある」と指摘し、関心を示した。

国際サッカー連盟(FIFA)もホームページを通じ、北朝鮮とサウジアラビア戦を詳しく紹介した。メイン画面には北朝鮮の選手団が人民共和国旗をかざし、手を振っている写真と共に1966年イングランドW杯出場当時の動画を配置した。



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