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[オピニオン]アノレイ将軍の回顧

Posted May. 08, 2009 08:19,   

「女子中学生死亡事件」当時の米軍第2師団長を務めたラッセル・アノレイ氏が6日、「生き残り(survival)」という回顧録を出した。氏は「韓国がワールドカップ開催で世界の注目を集め、韓国戦争のときに生存していた政治家たちから北朝鮮に融和的な若手政治家に入れ替わる時期に起きた女子中学生の死が、反米勢力の主張を拡散させる発火点となった」と分析した。氏は、「師団の広報担当少佐が、謝罪ではなく、釈明をする姿勢を見せたのは、韓国文化に照らして大きな失敗だった」とし、「デモ隊が米軍撤退を叫び、『アノレイは人殺し』と書いたピケットを見ながら韓国を離れることになり胸が痛んだ」と振り返った。

◆2002年6月13日、京畿道楊州市(キョンギド・ヤンジュシ)で誕生パーティに向かっていた女子中学生の申孝順(シン・ヒョスン)さんと沈美善(シム・ミソン)さんが米軍第2師団所属の装甲車に轢かれて死んだ事件が発生すると、米軍側は「適法な作戦遂行過程で起きた事故で過失はない」として事故を起した米兵2人を出国させた。これに対して一部の大学生たちは8月3日、坡州(パジュ)にある米第2師団第7機甲部隊4大隊所属の装甲車30台の前に立ちはだかってデモを繰り広げた。11月26日には、一部のデモ隊が議政府(ウィジョンブ)の米陸軍基地「キャンプ・レッド・クラウド」の有刺鉄条網を切って基地内に進入した。

◆アノレイ氏は、同年7月の離任式のとき、東豆川(トンドゥチョン)キャンプの練兵場入り口に集まったデモ隊のことを振り返り、「数千人の警察機動隊を持つ韓国だが少数の機動隊だけが出動した」と書いた。韓国に対して多くの努力を傾けたにもかかわらず、自分たちを助けようとした人は一人も記憶に残っていないとも書いた。アノレイ氏は、韓国政府の消極的な態度には寂しさを覚えたようで、米軍が50年あまりを韓国に駐屯しながら、韓国戦争で3万3000人が死に、10万3000人あまりが負傷した事実にも触れた。

◆2005年9月、左派団体が仁川(インチョン)自由公園でマッカーサー司令官銅像の撤去を図ったとき、ヘンリ・ハイド米下院国際関係委員長は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領宛に「銅像を米国に持ち帰りたい」と抗議の書簡を送った。米国の一方的な援助を受けていた立場から世界13位の経済大国になるまでは、米国が市場と安全保障の傘を提供してくれた功が大きい。「血盟米国」を寂しい気持ちにさせないで我々の自尊を同時に追求できるような智恵が求められる。

朴成遠(パク・ソンウォン) swpark@donga.com