国史編纂委員会(国編)は9日、上海の大韓民国臨時政府(臨政)が中国人らに韓国の独立運動をアピールするために発行した「独立新聞」の中国語版の創刊号(1922年7月20日付け)を発掘し、複写本を公開した。同年7月27日付けの第2号と、9月7日付けの第6号もともに見つかった。
国編は、上海市の記録保管所に派遣された金グァンジェ編史研究士が最近、上海図書館で、この創刊号を見つけたと明らかにした。4面構成の同紙は、臨政の機関紙として徐載弼(ソ・ジェピル)が1896年4月7日に国内で創刊した「独立新聞」とは異なるものだ。
臨政が発行した独立新聞は、△1919から1926年にかけて上海で計198号が発行された国語・漢字混用版や、△1922年から1924年にかけて、上海で発行された中国語版、△1943年から1945年にかけて重慶で発行された中国語版の3種類がある。上海の中国語版は約40号が発行され、中国の官公庁や社会団体、教育機関などに無料で配布された。朴殷植(バク・ウンシク)が主筆を担当し、中国人記者らを採用して制作した。論説や韓国情報、中国の通信、日本のニュース、各国の通信、雑報、文苑などからなっており、韓国人による独立運動や日本の蛮行を知らせるのに紙面を費やした。欧米情勢や、インドとベトナムの独立運動も紹介しており、中国人が投稿した文も掲載されている。
同紙は、創刊の挨拶で、資金難のため韓国語・漢字版の発行も厳しい状況だが、地元で韓国の独立運動を知らせることがより急務であるため、中国語版を発行することになったと、伝えている。さらに、「我々の独立のための血爭の真相を発表し、敵人の不義不法を声明することで世論を喚起し、造應空氣するためには必ず、言論機関に頼らざるを得ず、独立新聞を発行することになった」と書かれている。
独立記念館・韓国独立運動史研究所の金ジュヨン研究委員は、「中国語版の創刊挨拶を確認することで、独立の当為性を知らせようとした臨政の意志や努力がはっきり分かった」と評した。
韓国語外国語大学の鄭晉錫(チョン・ジンソク)名誉教授は、「中国を舞台に独立運動を展開しながら、中国語版の新聞を発行したことは、独立運動の歴史のみならず、韓国言論史においても、大変意義深い」とし、「創刊号が見つかったことを受け、新聞の性格や目的などを把握するのに大きく役立つだろう」と語った。
gold@donga.com