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[社説]3〜4時間震えながら待ち、金枢機卿を弔問する気持ち

[社説]3〜4時間震えながら待ち、金枢機卿を弔問する気持ち

Posted February. 19, 2009 08:17,   

金壽煥(キム・スファン)枢機卿を哀悼する行列が、氷点下の冷たい風の中でも、延々と続いた。遺体が安置されているソウル明洞(ミョンドン)聖堂前には、昨日未明6時、聖堂の開門前から市民が集まり始め、日の出の頃には、退溪路(テゲロ)まで列ができた。午後は2キロ程の弔問の行列が、世宗(セジョン)ホテルを経て、地下鉄の明洞駅まで続いた。弔問を終えるまで平均3時間もかかったが、秩序の乱れや騒ぎはなかった。

子供を負ぶっている30代女性は、「4時間も列に並んで大変だったが、最後の様子を見たかった」と話した。枢機卿を哀悼する気持ちは、いたるところでコミュニケーションを妨げていた壁を取り崩した。混血歌手のインスニは、「お目にかかった時には、何時も背中をなでながら『よく頑張ったね』と励ましてくださった」と話した。追悼の人波の中に、法衣をまとった僧侶やキリスト教の牧師の姿も目に付いた。釜山(ブサン)や大邱(テグ)、光州(クァンジュ)、大田(テジョン)、仁川(インチョン)など、全国各地から弔問客が訪れた。与野党政治家も問わなかった。金枢機卿を苦しませたかつての権力者も、訪れ頭を下げた。

生前、国民から尊敬を受けた金枢機卿は、亡くなってからも全国民を一つにまとめる力を発揮している。政派やイデオロギー、地域や宗教、貧富によって分かれ、分裂や対立、葛藤で塗られた韓国社会の裾野には、統合や愛への渇望が潜んでいたのだ。サッカー・ワールドカップの試合以後、全国民がこのように一丸となったのは初めてのことである。

金枢機卿は生涯、愛や犠牲の精神を持ち、社会の弱者に目を配り、人生の最後には角膜を寄贈した。その高貴な精神は、もはや韓国社会に変化を起こしている。昨日午後2時から明洞聖堂前に設置された「愛の臓器寄贈運動本部」のブースには、枢機卿の遺志をつぎ、臓器寄贈を行おうとする市民が駆けつけた。視覚障害者らも、滑りやすい道にもかかわらず、弔問した。

金枢機卿は1980年4月1日、東亜(トンア)放送の「DBS招待席」に出演し、「花冷えが来るかもしれないが、我々が必ずやらなければならないという確信を持っていれば、最後は民主主義が訪れるでしょう」と語った。ソウルの春は短く終わり、厳しい花冷えに見舞われたが、枢機卿の予言どおり、大韓民国はついに民主化を遂げた。政治のことだけではない。世界的な経済危機に見舞われ、我々皆、辛く大変だろうが、「必ずやらなければならないという確信を持っていれば」、難関を乗り切ることができる。