お預けの金メダルだった。楽々と手に入れることもできたが、それだけでは満足できなかった。取りあえず、相次ぐ世界記録で国民を喜ばせた。一歩間違えば、興味の欠ける一方的なレースは、それで感動のドラマになった。非人気種目のうっ憤を雄弁するかのようだった。
重量挙げは男子77キロ級の史載赫(サ・ジェヒョク、23=江原道庁)に次ぎ、二つ目の金メダルを獲得し、一気に最高のメダル畑の種目になった。重量挙げで金メダルを獲得したのは、1992年のバルセロナ大会の全炳寛(チョン・ビョングァン)選手以来16年ぶりのことだ。
「女子ヘラクレス」の張美蘭(チャン・ミラン、25=高陽市役所)が世界を持ち上げた。張美蘭は16日、北京航空航天大学の体育館で行われた女子75キロ超級の試合で、スナッチ140キロ、ジャーク186キロ、トータル326キロを持ち上げて優勝した。2位のオルハ・コロブカ(ウクライナ)とは49キロ以上も差があった。スナッチ、ジャークのそれぞれ3回のチャレンジで失敗は1度もなかった。
張美蘭はスナッチ3回目の試技で140キロを持ち上げて、中国の穆爽爽(24)が06の年ドーハアジア大会で立てた世界記録を1キロ増やした。ジャークの2回目の試技で183キロを持ち上げ、唐功紅(29・中国)がアテネ五輪で打ち立てた従来の記録(182キロ)を塗り替えた張美蘭は、その2分後186キロに成功し、数分前の自分の記録を打ち破った。トータルでも穆爽爽の元世界記録(319キロ)を7キロも上げた。
張美蘭はドーハで穆爽爽に土壇場で逆転され、涙を流した。穆爽爽は今大会には出場しなかったものの、張美蘭は穆爽爽の記録を意味のないことにし、見事に雪辱を果たした。
重量挙げは、一つの国で男子5体級、女子4体級のみの出場が認められている。中国は金メダルが不透明な穆爽爽を除外し、出場した女子4体級すべてで金メダルを取った。
張美蘭は、「いくら能力が長けていても、金メダルは天から授かるものだ。本当に嬉しくて感謝する」と話した。
もっぱら張美蘭を連呼する観客席には、父親の張ホチョル氏(56)の姿もあった。若い時代、重量挙げの選手だった張氏は、娘に重量挙げを薦めた張本人だった。「どうして女に重量挙げをやらせるのか」と抵抗していた張美蘭は、両親の執拗な説得に結局バーベルを握った。
なかなか勉強もできる平凡な生徒だった張美蘭は、小学5年生以後、目だってよく食べるようになった。「飛び回るトンカツ」というニックネームがつけられた。運動神経がずば抜けてよかった張美蘭の体重は日増しに増えた。父親の張氏はそういう娘を見て、重量挙げをすると成功できると思った。判断は当たっていた。
女子代表チームのオ・スンウ監督とキム・ドヒ・コーチも、張美蘭の金メダル獲得に大きく貢献した。オ監督は、「本人が厳しいトレーニングを乗り切ったおかげ」と言った。金コーチは体重を増やすのが至上課題だった張美蘭のため、一日中寄り添って料理を作ってあげた。韓国から食材料の入った箱だけで15箱を北京に持ち込み、これも足りなくてこまめに大型スーパーを行き来した。
「25歳の娘」張美蘭は一番お洒落したい時期に、苦労しながら体重を増やし、重いバーベルと戦った。外見に気を使う暇などなかった。しかし、世界を持ち上げた張美蘭はとても美しかった。
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