「思想が不透明で、30年間の政治生活は権謀術数と欺瞞で満ちており、まったく信頼することができない危険人物」。90年10月、国軍保安司令部(保安司)所属のユン・ソクヤン二等兵が暴露した保安司の民間人査察資料には、ある野党政治家に関してこのような記録があった。政界、学界、宗教界、言論界、社会運動圏など、民間人約1300人に対する保安司の査察ファイルは、87年6月の民主抗争で民主化が実現したと信じる国民に、軍部独裁の残滓が清算されていなかったことを知らしめた。
◆保安司西氷庫(ソビンゴ)分室は、中央情報部南山(ナムサン)地下室、警察南営洞(ナムヨンドン)対共分室とともに、72年の「10月維新」後、野党政治家や在野関係者、社会運動家の大学生に対する不法連行と拷問で悪名をとどろかせた。保安司は、ユン二等兵の暴露を機に、91年1月に国軍機務司令部に看板を替え、政治的査察の中止を宣言する。しかし、92年に李ジムン中尉が機務司の総選挙介入の事実を暴露し、再び注目を集めた。79年に12・12クーデターを起こして中央情報部を制圧した保安司は、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)両司令官が順に大統領になったことで、政治軍人の総本山になっていたこともある。
◆48年5月、陸軍情報局情報処内の対共産業務専門機構である「特別調査課」が母体の軍捜査情報機関は、50年代の特務部隊と60年代の防諜部隊を経て、68年の1・21大統領府襲撃事件後、陸海空軍の保安司体制に拡大した。その後、77年10月の在韓米軍の撤収を機に、国軍保安司に統合される。軍事機密保安、防諜、軍関連の不正および刑法上内乱・外患罪の捜査などが核心任務であるにもかかわらず、政治介入や民間人の査察、拷問に明け暮れた保安司(機務司)は、93年の文民政府の誕生で、ようやく本来の地位を取り戻した。
◆機務司関係者は23日、「スパイ数人が国を滅ぼす恐れもある」として、防諜分野を強化することを明らかにした。機務司は、建国以来逮捕したスパイ約4500人のうち43%を検挙したほどスパイ捜査に貢献したが、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の北朝鮮に対する融和政策の下ではほとんど実績がなく、スパイ検挙は機務司の任務ではないと考える国民も多い。今後、司令官による大統領への報告も復活するという。機務司が本来の業務に忠実に取り組み、安全保障の砦へと生まれかわることを期待する。
権順澤(クォン・スンテク)論説委員 maypole@donga.com






