▲不名誉な記録だけを残した私学法〓05年12月の私立学校法の改正の時、ヨルリン・ウリ党は、ハンナラ党が欠席した中、国会議長の職権上程という無理数を動員した。
06年1月、ウリ党議長だった柳在乾(ユ・ジェゴン)議員は、「改正私学法は、一点一画も手を加えることはできない」と述べ、また、当時国会教育委員会のウリ党幹事だった鄭鳳株(チョン・ボンジュ)議員は、「私学法はウリ党の脳髄も同じだ」と述べた。
政界だけでなく、各界に保革論争を巻き起こした私学法は、結局、約1年6ヵ月後に、国会議長の職権上程により再び改正された。ウリ党の議席が152席から73席に半分になったうえ、大統領選挙を控え、私学法改正を求める宗教界などを意識せざるをえなかったものとみえる。結局、私学法は2度の法改正で、2度の国会議長の職権上程と国会議員の争いの記録だけを残すことになった。
▲「開放型理事」の規定だけを残す〓今回の私学法再改正の核心は、「開放型理事」の選任方式の変化だ。05年12月に公布された改正私学法は、学校運営委員会が理事の4分の1を2倍数推薦すれば、彼らの中から財団が任命すると規定していた。
しかし、今回合意に至った再改正案は、以前よりも私学の影響力を大きくした。開放型理事の推薦委員会を構成し、推薦委員は財団と学校運営委員会が推薦し、一般の私立学校は学運委が過半数を推薦するほか、宗教人を育成する大学(院)は財団側が過半数を選ぶことになる。
改正法はまた、理事長が他の学校の校長や理事長を兼職できるとした。校長の任期も、今は2度まで可能だが、この制限も解かれた。
開放型理事制を存立させるという名分だけを残したわけだ。残りはすべて、05年12月以前に原状回復したも同然だ。当初、「改革ドグマ」に陥り、学校の現実に背を向けたまま、無理に法案を強行推進したためだという指摘が多い。
▲「改革」立法の昨日と今日〓ウリ党が、第17代総選で弾劾の逆風を追い風に過半数議席を占めた直後、院内代表になった千正培(チョン・ジョンベ、民生政治の会)議員は、「4大改革立法」の貫徹を全面に掲げた。
しかし、国家的論議を呼んだ国家保安法は結局、何も手をつけることができず、うやむやになった。新聞法制定案は紆余曲折の末、05年に国会で可決されたが、憲法裁判所は06年6月、「一新聞社の市場シェアが30%以上で、新聞3社のシェアが60%を超えれば市場支配的事業者」と規定した条項に対して違憲判決を下した。過去事法は05年、与野党の合意で国会を通過したが、公訴時効などをめぐる違憲論議は止むことがない。
ウリ党議長を2度も務めた鄭東泳(チョン・ドンヨン)元議長は06年11月、記者懇談会で、ウリ党が失敗した理由について、「ウリ党に『4大改革立法』の帽子を被せたことが間違いだった」と吐露した。
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