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「蔚山城の戦闘図の屏風」が韓国入り

Posted June. 26, 2007 03:17,   

慶長の役の戦闘場面を描いた国内外の作品のうち、最も細密に描かれたといわれる「蔚山(ウルサン)城の戦闘図の屏風」の3枚(計18幅、17・18世紀に日本で製作される)が近いうちに韓国入りする。とりわけ、このうちの2枚は、存在そのものが今回はじめて確認されたものだ。

同屏風は、慶長の役の終盤の最大の勝負の山場だった13日間の蔚山城の戦闘(1597年12月23日〜1598年1月4日)の場面を事実的で細密に描写し、史料としての価値が大きい上、日本人が描いた朝鮮の勝利図という点で、格別な意味を持つ。

ソウルの鍾路区嘉會洞(チョンノグ・カフェドン)にある北村(ブクチョン)美術館(チョン・ユンス館長)は25日、「日本の東京のあるコレクターのコレクションからこれらの屏風の存在が新たに確認され、3枚をすべて購入して、8月や9月頃に国内に持ち込むことにした」と明らかにした。

3枚のうち1枚は1999年、国立晋州(チンジュ)博物館が日本から借りてきて展示したことはあるが、残りの2枚は、国内はもとより日本でも存在すらわからなかった作品だ。チョン館長は、「蔚山城の戦闘で日本が負けたため、日本人の製作者やコレクターたちが負担を感じ、公開を嫌がったためだ」と伝えた。

これらの作品は1597年、朝鮮に派遣された鍋島直茂の家門が蔚山城の戦闘で敗れて帰ったあと、様々な記録や証言などをもとに、17、18世紀頃に製作したものだ。屏風1枚の大きさは縦173センチ、横375センチ。日本人が描いた作品だが、慶長の役の戦闘のうち、最も膨大な上、細密で、非常に重要な作品として評価される。

蔚山城は1597年、日本の将軍である加藤清正が北進ができなくなると、南海岸に駐留する目的で、1万6000人余りの兵士を動員して建設した日本式の城郭だ。当時、戦闘で朝鮮と明の連合軍5万人余りは、蔚山城を完全に包囲し、日本軍1万6000人余りを徹底的に孤立させた。

このため、日本軍たちは土を煮込んで食べたり、馬を殺して食べたりしながら過ごさなければならなかった。6万人余りの日本軍の救援兵のため、朝鮮—明の連合軍は後退したが、加藤清正が逃げ出すなど実質的な日本軍の敗北とつながり、慶長の役を終わらせるのに決定的な役割を果たした戦争と評価されている。

今回、新たに公開された2枚の屏風のうちの一つには、数千人の朝鮮軍と明軍が馬に乗って蔚山城に秩序を保って進撃して入り込み、日本軍が城郭の周辺で防衛する場面が盛り込まれている。また別の6幅の屏風には鳥銃や長剣などで武装した日本軍に押されて、朝鮮軍や明軍が後退する場面が緊迫で、細かく描かれている。朝鮮—明の連合軍とは異なって、日本軍は所属の家門によって、お互いに異なる旗を掲げているのが特徴だ。

1999年、国内で公開された屏風には朝鮮—明の連合軍が数多く蔚山城を包囲し、日本軍を孤立させる場面が書かれている。蔚山城のなかでは日本軍が馬を殺して食べる場面まで出るほど詳細に描かれている。



kplee@donga.com