わが歴史上、安保問題が政争の対象になった代表的な事例は、朝鮮宣祖(チョソン・ソンジョ)時代、「10万養兵論」をめぐった論争だろう。1582年、兵曹判書(現在の国防長官)に上がった栗谷(ユルゴク)李珥(イ・イ)先生は、「準備しなければ、10年以内に地が崩れる災いが起きるだろう」とし、兵力10万人を予め育成しなければならないと提言した。しかし、し烈な党派争いの中でこのような提言は無視されてしまった。都承旨(トスンジ、王の秘書室長)の柳成龍(ユ・ソンリョン)は、「平和の時の養兵は、トラを育てて憂患を残すことと同じだ(養虎遺患)」という論理で踏み潰した。
◆ちょうど10年後の1592年、壬辰の乱が勃発した。栗谷の主張が的中したわけだ。反対論者らは、国際情勢に疎い上、政争にだけ明け暮れたため、危機を見抜けなかったものだ。執権以後、韓米同盟の隙間だけを広げておいたこの政権と、いわば「進歩勢力」の愚かさを見ているようだ。それで歴史は回るというのか。安保の超党派性を狙って、新年の明け方から投げかけた宋旻淳(ソン・ミンスン)外交通商部長官の「安保政争化中止論」が再び議論を呼びそうだ。
◆宋長官はマスコミとのインタビューで、「安保問題は政争化しないのが良い」と述べた。まさにその通りだ。しかし、政争を自らもたらした人が誰なのか。その間の韓米の葛藤は、望ましい関係に進むために避けられないプロセスだったのだろうか、葛藤に対する(マスコミの)過度な解釈のため、問題が拡大したのか。これに対する答えは宋長官本人が誰よりもよく知っているはずだ。大統領が実益もなしに米国を刺激するような発現さえしていなかったら、韓米関係がこれほど悪化してはいないだろう。
◆安保に対する各界の憂慮と忠告を「政争の種」に見てはならない。この政権がかえって、戦時作戦統制権の早期還収推進、北朝鮮核の危険軽視発言、軍長老の忠言を無視、北朝鮮の韓国戦争の南侵を歪曲する内戦論、軍服務の短縮検討および軍無視発言などで、絶えず政争を誘発してきたではないか。豊臣秀吉の外貌が格好悪いとして、侵略はないと言った通信使の言葉に気が向いた宣祖の愚かさを繰り返してはならない。
陸貞洙(リュク・ジョンス)論説委員 sooya@donga.com






