第16代大統領選挙の1年後の2003年12月19日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は支持グループの会である「リメンバー1219」の行事に参加し、「市民革命は続いている。(総選に)もう一度乗り出してほしい」と訴えた。大統領弾劾訴追の発端になったが、政権再創出を夢見る親盧グループと与党には、第17代大統領選挙を1年後に控えた今日も、依然として有効なメッセージだ。
しかし、4年間の無能な左派ポピュリズム(大衆迎合主義)の弊害に苦しみ、疲れた国民に、「12・19の思い出」は正反対だ。「もはや、我々が乗り出さなければならない」という決意を堅固にする契機にすぎない。
4年前の大統領選挙の勝敗を分けた最大変数は、盧候補の行政首都移転公約と李会昌(イ・フェチャン)ハンナラ党候補に対する兵風攻勢などのネガティブ・キャンペーンだった。しかし、首都移転公約は盧候補自ら「うまくいった」と言ったように、にわか造りのものだった。李候補の息子の兵役不正隠蔽疑惑など「3大疑惑」はすべて政治工作であることが明るみになった。250万の雇用創出の公約も「むなしいスローガン」に終わった。4年間、潜在成長率(5%)に及ばない低成長と企業投資をふさぐ反市場政策の結果、青年失業者だけで53万人にのぼっている。「北東アジア中心国家」の公約はどこへ行ったのかまったく分からない。
「左派386コード」の洗礼を受けた盧候補は、当時、「反米ならどうだというのか」「南北関係さえうまくいけば、他はダメでもいい」と述べ、自主を掲げて「反米商売」をすることを予告した。義父の左翼活動については、「妻を捨てろというのか」と言って、感性に訴えた。どれひとつ、徹底的に検証されなかった。
その結果は、経済破綻と韓米同盟の半瓦解、国家伝統性と国基の崩壊など、惨憺たる成績表で国民にそのまま跳ね返ってきた。与党は再び「びっくり政界改編ショー」と反米商売、そしてポピュリズム的公約とネガティブ攻勢で、4年前の勝利の思い出を再現させる態勢だ。野党ハンナラ党もこれに劣らず庶民に迎合するポピュリズム的公約を出す準備をしている。最近、民間マンションの分譲価格の上限制導入に合意したのもそうだ。
「リメンバー1219」はもはや4年前の勝利を再現しようとするノサモ(盧武鉉を愛する人々の会)のスローガンではなく、国民的覚醒のスローガンにならなければならない。来年12月19日、産業化と民主化を超え、先進化を導く指導者を新しい大統領として選ぶことができるかどうかに、大韓民国の運命がかかっている。






