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金メダルのファン・ヒテ「私には姉たちが母」 アジア大会柔道

金メダルのファン・ヒテ「私には姉たちが母」 アジア大会柔道

Posted December. 05, 2006 07:07,   

「先ほどインタビューしたのに、またするんですか」 

インタビューしたくないという意味ではなかった。笑っている茶目っ気のある顔をみればわかる。

4日、06ドーハ・アジア大会の柔道男子90キロ級で金メダルを取ったファン・ヒテ(28、尚武、写真)は、「マットのコメディアン」と呼ばれる。木浦(モクポ)出身である彼が、面白い全羅道(チョンラド)方言で速射砲のように言う話を聞いていれば、目の前にコメディアンがいるかのような錯覚までする

夢見ていた金メダルを取ったのだから、気分は最高だったはずだ。しかし、にこにこした顔がちょっと暗くなる。ご両親の話が出た時だ。

ファン・ヒテには両親がいない。大学1年生の時、お母さんが腎臓異常で世を去り、2年後、お父さんまで動脈硬化で急にお亡くなりになった。お母さんは、ファン・ヒテが10歳の時から、病気だったので、彼は5人のお姉さんたちの手で育てられた。10歳上の双子のお姉さんたちは、彼にはお母さんのような存在だった。

「お母さん」のようなお姉さんたちがいたが、お母さんであることはできなかった。ファン・ヒテはますます、より内気な性格に変わった。性格を変えさせてくれたのは柔道だった。柔道の実力が伸びると自信が生じ、外向的にもなった。

日増しに実力が伸びていたファンに04年、危機が訪れた。手ごわい優勝候補だったファン・ヒテは準決勝で、泉浩(日本)に競技終了10秒前に逆転されてしまったのだ。金メダルが不可能になり、銅メダル決定戦はほぼあきらめてしまった。衝撃を受け、運動をあきらめようとした。

失意に陥ったファンに再び力をくれたのは、尚武(軍の運動部)を率いていたチョン・マンベ監督だった。チョン監督から励まされ、ファン・ヒテは再びまた道服を着、笑いを取り戻した。そして、金メダルも手に入れた。

ファン・ヒテは、「尚武に入隊したから、今回の大会で金メダルを取ることができた」と述べた。ファンは12日、除隊を控えている。これからは、水原(スウォン)市役所のユニホームを着る。短い彷徨を終わらせ、ふたたび柔道の有望株になった彼に残った目標はもう決まっている。

「世界選手権、アジア大会で全部金メダルを取りました。あとは、五輪が残ってます」



why@donga.com