大学まで卒業したけれど、昼には露天商、夜はジャズバーでトランペット演奏をして生計を立てているジミー・ポーターは、張り裂けんばかりの怒りを抑えて生きている。ジミーは、中産層出身の婦人エリスンを虐待し嘲弄することで自分の挫折感と剥奪感を噴出する。英国の前衛作家ジョン・オズボーンが1956年、演劇舞台に上げた戯曲「怒りを込めて振り返れ」のストーリーだ。この作品は、英国の労働階層の厳しい日常を「怒りを込めた」と表現して、2次世界大戦後、喪失感に陥っていた人々の反響を獲た。
◆この戯曲のタイトルを連想させる出来事が、この10年間、韓国社会で起きた。しかも完了形ではなく進行形だ。政治家、市民運動家、学者らがみんな我々の過去をまるで全体が間違っているように「怒りを込めて」罵り糾弾している。そのような過去を清算・断罪しなくては一歩も未来へ進められないように行動する。大韓民国の歴史を「正義が敗北し機会主義が幅を利かした歴史」と位置づけた現職の大韓民国の16代大統領からしてそのような姿だ。
◆ソウル大学環境大学院のクォン・テジュン名誉教授は、「我々はどうして怒りを込めて振り返ってばかりいるのか」と問う。クォン教授は、今回光復節(クァンボクジョル=日本植民地時代からの独立記念日)に出した著書『韓国の世紀越え』で、「今、この国の執権勢力は、過去に対する批判と否定で自分たちの正当性を主張している」と指摘した。最近、韓国社会の構成員らはいつよりも自信に満ちているが、それは過去の成功的で力動的な「国家作り」とそれに伴う政治・経済・社会的な発展の土台があったからではないかと、クォン教授は反問する。
◆クォン教授は、過去史への批判と否定にこだわる知識人の集団を世界化という世界時間帯に本能的に適応する大衆よりも立ち遅れた「時代錯誤的集団」だと叱咤した。このような見方をしている人はクォン教授だけではない。『歴史とは何か』でE.H.カーは、「誰かが何かを埋め尽くしてこそ正しく立てられる空の袋」を歴史と見た。この国の知識人と支配グループは自ら何で国の空の袋を埋められるか悩んで行動すべきだ。
李進寧(イ・ジンニョン)論説委員 jinnyong@donga.com






