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[オピニオン]教権

Posted May. 22, 2006 03:01,   

5月は教師には「残忍な月」だった。全国小中高校の70%が先生の日の15日に休校した。1年に1日だけ、教師が主人公になる日。彼らの心情は複雑で寂しかったはずだ。18日には忠清北道清州市(チュンチョンプクド・チョンジュシ)のある小学校教諭が、学父母の前にひざまずいて謝るこという事件が起こった。想像し難いその姿が、そのままカメラに撮られてテレビで放送された。

◆教師という職業は日増しに人気を集めているが、教権は失墜するいっぽうだ。理由は何か。学父母の過度な子供への愛も一つの原因だろう。最近、子供が一人だけの家庭が増え続け、学父母は子供を教師に全面的に任せるよりは、口出しする方が多い。学父母が学校運営に意見をすることは望ましいが、度が外れれば、教権は揺らぐしかない。

◆教師が自ら招いた側面もある。教員評価制反対のような集団利己主義が表面化し、教師が持っていた「先生」のイメージが、かなり色あせたのも事実だ。韓国社会は伝統的に教師を尊敬していた。「教員の地位向上のための特別法」が別にあるほど、社会的な待遇も安定している。それでも教師らは、「運動」と「理念」を掲げる一部団体の掛け声に巻き込まれ、「先生」から「労働者」に自らを格下げしたのではないか、振り返って見るべきだ。

◆教権なしに、教育はできない。教師を信頼する雰囲気が教室に形成されなければ、教育の效果は期待できない。したがって、教権は教師だけのものではない。一次的な解決の糸口は学父母の方にあるようだ。教師にまた信頼を寄せて、力を付けて、教権が保障できるようにするべきだ。その次は教師だ。米国の詩人ヘンリー・バンダイクは『無名の教師へ』という詩で、「若者たちを正しく導くのは無名の教師ら」だとし、「怠惰な学生に生気を吹き入れ、意欲のある学生を励まし、迷える学生に安定を与えるのが教師だ」と書いた。現在の韓国の教育現場には、このような使命感を持っている教師が果してどの位いるだろうか。

洪賛植(ホン・チャンシク)論説委員chansik@donga.com