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君には聞こえるか、魂を目覚めさせる緑のささやきが

君には聞こえるか、魂を目覚めさせる緑のささやきが

Posted April. 22, 2006 03:18,   

遅く咲く野バラは、バラの娘だ。バラの追伸だ。6月の夏をどきどきさせたバラのリフレーンだ。彼女の召命は、バラの歌を上品に完成することだ。

時おそいものがそうであるように、野バラは過ぎたものより、来るものを指す。バラが目を開け夢をみるなら、野バラは目を閉じて夢から覚める!野バラは赤色の歓心を買おうとしない。光沢に目を奪われない。黄昏期に入った人間とは違って、「認識の鋭いとげ垣」(ニーチェ)に執着しない。野バラは自ら諦めることによって、豊かになる。

萎れる瞬間、シルクのような美しさを捨て、甘い香りがなくなる時、野バラは別れを告げて小さく赤い灯りをつける。照れくさそうに可愛い実を成すのだ。

その時、どこからかお腹の減った1羽の鳥が飛んできて、この灯りをくわえて遠い黄昏の雲の中に飛んでいく。「遠い昔、たんぽぽの横で/シグミの黄色い目玉をみながら約束した通り…」(ヤン・スカッセル)。

この本は、我々の外に、そして我々の心の中にある庭園を媒体にして、周辺の素朴な事物と自然の中に宿っている生命の神秘、その魂の秘密を探っている。数多くの詩人と神秘主義者たちを伝令に、聡明な愛と温柔な忍耐が作り出す「緑の言語」を聞かせてくれる。

都心の中の緑色主義者を名乗る著者は、我々の感覚を開け、生きている全てものの奇跡を感じてみるようすすめる。「貴方の魂の中でバラの庭園を発見せよ。バラは静かで、その深い沈黙で貴方の胸の中のとげを抜く…」。

1936年、オランダにチューリップ投機狂風が吹いた時、人々は人生で本当に大事なのは何かを忘れていた。「神の富」がどこで満開しているのか忘れていた。「静かにチューリップの美しさを観照していれば、貴方は神がチューリップの何に投資したかを分かるようになるはずだ」。

ドイツでは、ワスレナグサを手に持っていれば、隠された宝物を探すことができるという伝説がある。しかし、その宝物を掴もうとワスレグサを放したとたん、魔法は解けてしまう。人生の真の宝物を失ってしまったのだ。

光の方に向けたリンゴ花の花びらをみていたら、自分も知らぬ間に自然を心が開かれるという著者。彼は花房を垂れたライラックから、春への愛の告白を聞いてみるようすすめる。天上の鏡のように輝くシラカバの白い皮から、月の明るい夜、妖精が刻んでおいた秘密のように綺麗で優雅な手紙を読んでみよとささやく。柔らかい風に身を任せ、創造の混乱にウイットと機智で奉仕するそのちゃめっけにたっぷり浸ってみるよう誘う。

弱々しいデージに触っていれば、神の恵みが感じられないかを聞かれる。「デージは子どもたちの花だ。小さい身ぶりの師匠だ。その完璧なみすぼらしさで、小さな力を象徴する純粋な信号だ。この小さな生命が、我々のこんなにも大きな慰めになるとは」。

そして、雲の散歩路を歩きながら、瞑想に沈む。「雲は決まった形態を捨ててこそ、自分の形態を得る。崇高な静寂が溢れる巨大な船になって永遠のように空に錨を下りていても、雲は一枚の花びらより有限で、瞬間よりも無償だ。存在するものでない。表われるのは自分であって、そして自分ではない…」(ゲーテ)。

古代エジプトの象形文字で、「緑」は「幸福」を意味した。幸福は鮮やかな植物のように青いもので、我々の庭園では、どんな緑色の生命も貧しくない。

蝶々はこの生命の歓喜と喜びを踊る。蝶々が翼を動かすところには、一かけらの楽園が誕生する。確固たる地点を拒否するが、限りなく広い空間、虚空を家とするそののんきで軽快な優雅さとは。蝶々は最も深い本性から激動の虚空だ。絢爛な色彩の虚空だ!



keywoo@donga.com