忠清北道清原郡琅城面(チュンチョンプクト・チョンウォングン・ナンソンミョン)クィレリ田3−5には、1坪余りの仮墓がある。この墓は、封墳(土を盛り上げてつくる墓)も小さく、芝もところどころはがれている。墓碑がなければ、無縁墓と思えるほどだ。
21日、この墓に、追悼のために人々が訪れた。この墓の主人は、「無国籍者」の丹斎・申采浩(タンジェ・シン・チェホ、1880年12月8日〜1936年2月21)先生だ。言論人であり歴史学者だった丹斎先生は、国債補償運動を先導し、日本の植民地支配期に大韓民国臨時政府の樹立に参加した独立運動家だ。
21日は丹斎先生逝去70周忌。先生は、中国満洲の旅順の刑務所で獄死し、1936年、幼年時代を過ごしたここに埋葬された。
丹斎先生の遺族は04年に墓を改葬しようとしたが、清原郡庁側が、墓が忠北道の指定文化財記念物(90号)だという理由で制止したため、実現しなかった。
▲「墓の損傷のため改葬」〓04年9月22日、丹斎先生の嫁、李徳南(イ・ドクナム、62)氏らは、掘削機で墓を改葬しようとして、郡庁職員と対立した。
当時、先生の墓は、封墳が崩れて遺骨が見えるなど本来の姿を失い、碑石も抜かれていた。遺族と郡庁側は、約10メートル離れた所に仮墓を作り、先生の遺骨を臨時に埋葬した。
現在、中国に住んでいる李氏は、東亜(トンア)日報との電話インタビューで、「墓所の下に水脈が流れているため、何度も封墳が崩れる。管理ができないため、墓を近隣地域に改葬しようとした」と話した。
李氏は、「2年以上、改葬する土地の地主を探し、清原郡と争いながら(臨時)改葬したが、郡と地主の間で解決の気配が見えない。しかし、丹斎先生殉国70周年委員会で募金運動をするなど周囲が助けてくれるおかげで、希望は失っていない」と話した。
しかし、新しい墓の造成は難航している。
清原郡が土地所有者側と交渉しているが、土地の補償額で意見の違いが大きいためだ。清原郡庁のハン・クォンドン文化広報課長は、「24日、土地所有者と郡有林の交換など、多様な案を話し合う計画だ。先生の墓が早く造成されるよう最善をつくす」と話した。
▲国籍回復法案発議、6ヵ月間昼寝〓丹斎先生の国籍回復問題も進まず。
丹斎先生は1912年、日本が朝鮮統治のために新民法の「朝鮮民事令」を公布すると、「日本が作った戸籍に名前を載せることはできない」として、申告を拒否した。
当時、多くの独立運動家たちが戸籍申告を拒否し、無国籍・無戸籍の独立運動家は200〜300人にのぼると推定される。
政府は光復(クァンボク、独立)後、日本が作った戸籍をもとに国籍を付与したため、丹斎先生は、国籍を得ることができなかった。
このような内容が本紙の報道(05年8月13日付)で知られると、ハンナラ党の林仁培(イム・インベ)議員ら22人が「国籍法一部改正法律案」(05年8月19日)を、ヨルリン・ウリ党の金元雄(キム・ウォンウン)議員ら36人が「国籍法改正案」(05年8月24日)を発議したが、これらの法案はまだ国会法制司法委員会にかけられている。
これについて、韓国外国語大学法学部の李長熙(イ・チャンヒ)教授は、「丹斎先生のような独立運動家に国籍を与えることは、名誉回復の次元で必ず必要なことだ」とし、「政府は、国会にかけられている法案が通過するのを待つことなく、直接乗り出すべきだ」と話した。
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