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[社説]大学の学生選抜権を認めろ

Posted September. 10, 2004 22:09,   

新しい入試制度の発表を受けて、学力差の問題が論争の焦点になっている。大学修学能力(修能)試験が等級制に切り替われば、大学受験は内申中心にならざるを得ない。内申は「成績の水増し」など、信頼性が乏しい。高校間に大きな偏差のある学力差が反映できないという大きな問題点も抱えている。

それでも、同じ点数をとった場合、同一の実力として認めるべきだというのが教育当局の立場だ。これに対し、内申中心の受験は不合理的な面が多く、逆差別をもたらすため、高校等級制と本考査(大学が実施する入試)を認めて補完すべきだという主張が対立している。

ソウルの高校の間でも同じ試験を行った際、生徒たちの平均点数が70点を記録した学校があるかと思えば、44点しか取れなかった学校もあるという資料の公開は論争に拍車をかけた。

学力にこのようなばらつきがあるのに、果たして同じ内申点数として認められるのかということだ。教育当局は返答に窮せざるを得ない。

この問題は、新しい入試制度が引き金となった。全国の受験生が同日に同様な条件で試験を受け、その結果に承服できるような修能試験の位置づけが一気に低下してしまうため、それに対する反作用で他の弁別力のある評価方法を要求する声が上がっているわけだ。志願者の実力を点数化して評価するしかない受験で、政府が片方の手段を抑えれば、もう片方が頭をもたげてくるわけだ。

解決策は、大学に入試の自立権を渡すことだ。学生選抜権は大学固有の権限であり、これからは大学を自由にさせるべきだ。その代わり、大学は多様な選抜権とともに社会的な弱者に対する教育機会を大幅に拡大し、社会的な責任を果たさなければならない。

主要大学の入学処長たちが昨日、大学が学生選抜権を持つべきだという原則に合意したという。もともと大学が持つ選抜権を改めて確認した格好だが、遅ればせながら言うべきことを言ったのは幸いなことだ。「改革」を掲げる政府が、1970、80年代の軍事政権のように国家統制的な入試を強制するのはお門違いだ。