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[社説]国をこのように導くつもりか

Posted September. 07, 2004 21:56,   

盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の国家保安法廃止発言後、とうとう保安法違反容疑で起訴された被告が裁判を拒否する事態まで起った。国家の司法体系を正面から否定したものだ。法は国家秩序の根幹である。たとえ悪法だと言っても、改廃されるまでは国民であれば誰もが従わなければならない。法秩序が揺れれば、国家の存立自体が脅威にさらされる。

なぜこのような状況になったのか。盧大統領の責任を問わざるを得ない。反国家団体との会合通信、金品授受などの容疑で起訴された同被告は、「違憲性と矛盾性が内在した保安法で、法廷で審判を受けるという事実自体が無意味だ」と言った。大統領が前日「保安法は違憲であれ合憲であれ悪法であり、鞘に納めて博物館に送るべき古き遺物だ」と言ったことと同様の論理を述べたのだ。大統領自ら混乱の端緒を提供したわけだ。

大統領はできる限り社会的論議の直接的な当事者になってはならない。賛否が先鋭に分かれる事案であるほど、一歩離れて両者が理性的な討論を通じて自ら接点を見出すように助けなければならない。それが後期産業社会の民主的リーダーシップの要である。残念なことに我々は政権2年になっても、そのようなリーダーシップを体感することができない。

保安法存廃論議にしても、このような風に増幅される事案ではなかった。保革を問わず国民の大多数は、いかなる形態であれ手直しする必要があると考えた。問題は幅だったが、これも廃止よりは改正、補完の方が断然優勢だった。首相と主務長官である法務部長官、そして野党まで改正を支持した。あるマスコミの世論調査では、改正・補完への賛成が70%に近かった。それがまさに世論であり民意である。

ならば大統領はこのような民意が国民的合意に変わるようにムードづくりをして、論議を促すべきだった。たとえその民意が大統領が言った「歴史的決断」に及ばないとしても、それがこの時代を生きる国民の意思なら、快く受け入れる姿勢を示すべきだった。最高裁判所が合憲の判決を下した法を「悪法」と一蹴し、与党に対して廃止をごり押しするやり方で反目することではなかった。その結果が今どのように現われているのか。

大統領が保安法廃止発言後、民衆連帯という団体のホームページ資料掲示板に「金日成(キム・イルソン)将軍伝説集」が掲載され、ある退職教師の会は「現役時代に反共教育を拒否できなかったことを反省する集会を開く」と言い出したことも、「烏飛梨落(偶然の一致で他人の嫌疑を受けること)」とだけ見ることはできない。

退職教師の会は、「保安法が軍事政権時代、教科書の内容を含む教育活動全般にわたって、教師と学生たちを反共イデオロギーの生けにえにした」とし、「今後、教育現場の反共的慣行を打破するために一生涯を捧げる」と述べた。これはどういうことか。「反共」なしに我々が、南北が極限で対峙する冷戦時代を無事に暮らせたのか。歴史に対するこのような接近は、歴史自体にも今日の暮らしにも何の役にも立たない。

韓国社会は今、「過去」というブラックホールの渦にすべてが吸い込まれつつあり、その中心に大統領がいるという様相だ。経済と民生が重要だと言うが、渦の威力があまりにも大きく、ほとんど聞こえない。国をこのように導いてはいけない。大統領から過去に対する偏狭な解釈、「私は正しくあなたは間違っている」という独善から抜け出さなければ、破局に進むだけだ。