第2次世界大戦の代表的な激戦と言えば、まずノルマンディー上陸作戦を思い浮かべるだろう。しかし、歴史学者の中には第2次大戦の最大勝負にスターリングラードの戦闘をあげる人たちが多い。1942年8月、ナチス・ドイツはボルガ川下流の戦略要衝地であるスターリングラードを占領するため、総攻撃を繰り広げた。しかし、ドイツ軍は6カ月に及ぶ死闘のあげく、22万人あまりの戦死者を出して惨敗した。戦勢が連合軍の方へと逆転し、第2次大戦の勝敗が決定された瞬間だった。
◆当時、廃墟の中で行われた史上最悪の市街戦は、大作映画『スターリングラード(Enemy at the Gates)』などの素材にもなった。スターリングラードは、「スターリンの都市」という意味。同戦闘は両国の指導者、アドルフ・ヒトラーとスターリンが繰り広げた自尊心対決でもあった。しかし、スターリングラードという名前はその後、地図から消えた。スターリンの死後、政治的激変期を経ながら、都市名がボルゴ・グラードに変わったためだ。クレムリンの隣には第2次大戦当時の最大激戦地の名前が刻まれた10の碑石がある。ここにもボルゴ・グラードという新しい名前だけがある。
◆ウラジミル・プーチンロシア大統領は最近、この碑石に刻まれた名前を再びスターリングラードに直すよう指示した。プーチン大統領は歴史書を耽読するほど歴史に対する関心が深いが、普段は「昔話」をあまり口にしない。そんな彼が、「些細な」地名復元にまで関心をみせたのだ。「スターリングラードという名前も、清算ではなく包容しなければならない歴史」という自分の歴史観を表わそうとの意図ではなかろうか。
◆彼の前任者だったボリス・エリツィン前大統領は、自身もかつてはソ連体制の特権階級だったのに、政権確立後は改革を叫びながら過去の痕跡は何もかも無くそうとした。国民はエリツィン政権初期にはこのような「破壊的な」過去清算に拍手をおくった。しかし、彼は経済破綻と激しい社会混乱の中で、任期も満たすことができず下野した。今日、「エリツィン時代」は、「ソ連体制に対する郷愁を呼び起こしたほど、暮らしにくかった時代」という冷めた評価を受けているだけだ。韓国の現代史を見直しすると乗り出した政権勢力が、「スターリンが憎いからスターリングラードまで歴史から消す」ような発想だけはしないよう願うだけだ。
モスクワ=金起顯(キム・キヒョン)特派員 kimkihy@donga.com






