韓国映画史上最大の観客を動員した姜帝圭(カン・ジェギュ)監督の『太極旗(テグキ)飜って』で最も感動的な場面は70歳になった弟が50年ぶりに発掘された兄の遺体の前で独白するようにつぶやくせりふだった。「…帰って来ると約束したじゃないか。私がどれほど待ったことか…。どうしてこうなってしまったの。50年間も待っていたのに…。兄さん、兄さん…」。大俳優チャン・ミンホの節制された感情処理とせりふ処理能力が目立った名場面だった。1000万観客がこの場面で目頭を濡らした。
◆一昨日京畿道加平郡北面(キョンギド・カピョングン・プクミョン)にある華岳山(ファアクサン)6・25(朝鮮戦争)戦死者の遺体発掘現場でもこのような場面が再現された。偶然というにはあまりにもそっくりで、まるで映画の中の一場面を見ているかのようだった。若い20歳に祖国のために命を捧げた兄の遺体と53年ぶりに向い合った妹(64)は涙を流しながら言った。「お兄さん、こんな深い山奥で寂しく横になっていましたか、あれほど私をかわいがってくれたのに…。」弟たちが持ってきた兄の写真は戦死者遺体として発見されたビニールの中の色褪せた白黒写真とあまりにも似ている。
◆写真の中の主人公は全羅南道筏橋(チョンラナムド・ボルギョ)生まれのナ・ヨンオク上兵。8人兄弟のうち二番目である彼は故郷村で名の知れた秀才だったと言う。順川(スンチョン)師範学校を通っており、裁判所登記所の書記として勤めながら高等考試を準備した彼は6・25戦争が勃発するや、釜山(プサン)で学徒兵に入隊した後、1951年家族と連絡が途切れた。父親は休戦後、息子の行方不明通知書を受けた後、怒りで病気になって57年に亡くなり、故郷の家を守っていた母親は85年亡くなる前に「ヨンオクがいつ帰って来るかも知れないから家を売らないでほしい」という遺言を残したという。
◆6・25戦争が終わってから半世紀が経った今、国立顯忠院(ヒョンチュンウォン)には17万8000ぐらいの殉国先烈と護国英霊が眠っている。しかし、参戦戦死者のうち遺体を探すことができなかった10万3000ぐらいの護国勇士たちは顯忠塔内部に位牌だけが安置されている。行方不明者の大部分がどこにも安息することができないまま発掘の手を待っているのだ。いくら大変で難しくても最後まで彼らの遺体を捜して安置するのが後に残った人々の道理だ。遺体とともに帰ってきた一枚の色褪せた写真は今日の大韓民国が一夜にして出来上がった国ではないということを私たち皆に考えさせてくれる。
呉明哲(オ・ミョンチョル)論説委員 oscar@donga.com






