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スクリーン一杯の遊び心、復讐すら軽いタッチで描く

スクリーン一杯の遊び心、復讐すら軽いタッチで描く

Posted May. 12, 2004 00:17,   

『キル・ビル(Kill Bill)Vol.1』の、クールなアクションを期待していたとすれば、『キル・ビルVol.2』(15日封切り予定)は、ずいぶん味気ないと感じることだろう。なんと20分も待って、ようやく中途半端なアクションシーンに出会えるこの映画は、一本勝負の1作目とは完全に違っている。相手を倒す時には「汚いやり方」を使う。毒蛇を使ったり、眼を抉り取ったり、生き埋めにしたりなど。一か八か、または泥仕合に近い争いと言った方がいいだろう。血生臭い痛快なシーンもない。

ところが、諦めるのはまだ早い。『キル・ビルVol.2』には、1作目に続いてクエンティン・タランティーノ映画の、根源的なパワーエンジンが丸ごと盛り込まれている。つまり、押さえ切れないほどの遊び心である。この映画の主人公は、ハットリ・ハンゾウの名剣でも、カンフーの師匠パイ・メイが伝授した五指心臓破裂術(五本の指で5ヵ所の急所を突いて心臓を破裂させる必殺技)でも、復讐心に燃える「ザ・ブライド」(ユマ・サーマン)でもない。

どんな剣や銃より、強力な武器である「おしゃべり」である。

片目の殺し屋、エル・ドライバー(ダリル・ハンナ)は、ヘビに噛まれて死んで行くバード(マイケル・マドソン)の前で、用意してきたメモを長々と読み上げる。「コブラに一回でも噛まれれば、結果は命におさらば。おさらばって、恰好よくない?どうしても1度は使ってみたかったセリフなの」といった具合だ。

タランティーノは、バラエティートークショーのようなこの映画を通して、まるでギリシャの悲劇を語るかのように、気取っている。ブライドとの対決を控えたビルは「呑気にも」スーパーマン、バットマン、スパイダーマンを口にしながら、英雄論と生死哲学を並べ立てる。こうしたタランティーノブランドの「人生哲学」と、三流のヒューマニズムは、アクションを意図的に蒸発させたこの映画に重みをもたせている。監督は、感傷的で苦悩に満ちた(あるいはその振りをする)セリフを吐いた人物が、いざとなると荒唐無稽な行動に走るシーンを見せることで、いやみとユーモアを創り出している。

ブライドは、前作に続いて復讐への道を歩む。ビルの弟バードによって、彼女が生埋めにされそうになるや、映画は中国カンフーの達人パイ・メイ(劉家輝)に厳しく鍛えられているブライドの過去に戻る。結局、起死回生したブライドは、ついにビルの前に現れる。しかし、自分が身重な体で撃たれた際、一緒に死んだものと信じていた娘の生きている姿を見ては驚き、母性愛と復讐心の狭間で混乱を覚える。

前作が、侍映画をクリエイティブに組合わせたものだったとすれば、2作目はマカロニウエスタンを解体した後、再び組み直している。荒野での1対1の対決、極端なクローズアップと各々の人物の心理を大げさなまでに誇張した音楽などは、セルジオ・レオネ監督の西部劇などでよく見かけられる要素だ。

香港の映画製作会社ショーブラザーズによるカンフー映画も、重要な教科書になっている。タランティーノは、映画『Hung His—Kuan』の中で、主人公劉家揮の相手役を務めた悪党パイ・メイの、軽薄で自分誇示的なキャラクターを、劉家揮にそっくり吹き込んでいる。そうすることで、自分が尊敬していた劉家揮に対する崇拝と皮肉の間を、軽々と横切るのである。18歳以上観覧可。



李承宰 sjda@donga.com