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韓国政界の「キングメーカー」金潤煥元議員が死去

韓国政界の「キングメーカー」金潤煥元議員が死去

Posted December. 15, 2003 23:31,   

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韓国政界の「キングメーカー」と呼ばれた虚舟・金潤煥(ホジュ、キム・ユンファン)元民主国民党代表が15日午前10時50分、死去した。享年71歳。

腎臓がんを病んでいた金元代表は6日午後10時頃、病状が悪化し昏睡状態に陥り、ソウル市瑞草區方背洞(ソチョク・バンベドン)の自宅から京幾道高陽市(ギョンギド・コヤンシ)にある国立癌センターへ移されたが、意識を失ったまま亡くなった。

氏は今年1月、病気治療のため米国に渡り10月2日帰国した後、自宅で通院治療を受けて来た。

金元代表は大邱(テグ)日報記者としてマスコミ界に入り、朝鮮(チョソン)日報の東京特派員と編集局の局長代理を経って、1979年、維新政友会議員(第10代)として政界に足を踏み入れた後、第11、13、14、15代議員を歴任(5選)した。

氏は第5共和国末期、大統領政務首席秘書官や秘書室長を務め、盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)政権の発足時には、政権創出の中核的な役割を受け持った。その後、与党の事務総長2回、院内総務2回、政務長官3回、与党代表2回、野党代表などを歴任した。

00年、第16代総選の時には、李会昌(イ・フェチャン)ハンナラ党前総裁の「改革公薦」に押されて公認を受けられなかった。その後、民主国民党を結成して再起を試みたが、選挙に落選してしまった。

遺族には李節子(イ・ジョルジャ)夫人と1男3女がいる。同日、故人の遺骸が安置されたソウル市松坡区風納洞(ソンパク・フンナプドン)のソウル峨山(アサン)病院の霊安室では各界人士が弔問の例を成した。葬礼は家族葬で行われ、出棺は18日午前8時。葬地は慶尚北道亀尾長川面(キョンサンブクド・クミシ・ジャンチョンミョン)サンジャン里。02−3010−2270。



朴民赫 mhpark@donga.com